朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第485~486回2018/5/14~5/15

 歌舞伎役者として当代随一の位置に君臨する喜久雄が描かれている。そして、その姿が寂しく、痛ましい。

 歌舞伎女方の芸術上の価値。その女方としての喜久雄の高度な技法。さらに、歌舞伎役者としての喜久雄の来歴と、現在の芸の高さ。それらすべてが、最高のものとして認められた。だが、その喜ばしい喜久雄の人間国宝認定の通知書は、竹野の外出中に届き、誰も読むことなくデスクの上に置かれた。この状況は、何かを暗示していると思う。

 喜久雄にとって、今信頼できる人は彰子だと思う。その彰子に、喜久雄が役者をやめたいととれることを言った。これは、喜久雄の喜久雄としての本心だろう。
 ところが、彰子が問い返した相手は、喜久雄であって喜久雄ではなかった。

「やめたいんですか?」
 彰子が静かに問いかけたのは目の前にいる喜久雄ではなく、鏡に映った阿古屋でございます。(486回)

 
舞台上の喜久雄と喜久雄本人、言い換えるなら、役そのものの人格と役を演ずる喜久雄の人格との間に垣根がなくなっている。
 これは、正気を失ってしまった役者の精神状態なのか?それとも、歌舞伎の役者の究極の境地なのか?



 安宿で「菊さん」として最晩年を過ごした万菊は、役から逃れて万菊本人の心境に戻っていたように思う。