朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第490回2018/5/19

 喜久雄の故郷、長崎へと思いが導かれる。
 マツも権五郎も、そして、喜久雄も徳次も歌舞伎が好きだった。
 権五郎とマツは、貧しく生きるのに精いっぱいの日々を送っていたことが想像できる。厳しく苦しい暮らしから逃れる唯一の楽しみが歌舞伎だったのであろう。
 その歌舞伎の魅力に飲み込まれたのが、喜久雄であり、俊介であると思う。
 歌舞伎座が代を重ねて継承され、歌舞伎役者も代を重ねて継承される。二代目半二郎、四代目白虎から五代目白虎、三代目半二郎へと。そして、これからは、二代目半弥とさらにその子へと。

 徳次が戻って来ている兆候はない。徳次を恋しがっている喜久雄の兆候はある。
 綾乃と徳次が、その席にいるなら、舞台の上の喜久雄からは、はっきりと綾乃と徳次が見えるはずだ。
 
 阿古屋を演じる喜久雄本人も、それを観るであろう綾乃も、どこにいるかわからないままの徳次も、喜久雄の人間国宝認定をまだ知らないはずだ。