私は、『国宝』の主人公に、連載の読み始めから最後まで親しみも畏敬の念ももてなかった。しかし、最終回の主人公の背中には、思わず精一杯の拍手をした。
 その理由は、歌舞伎の舞台に打ち込み続けた喜久雄の姿に、心うたれたからだ。
 喜久雄は、大きな名跡を求めず、三代目半二郎のままだった。歌舞伎役者として後世にまで、讃えられることを望んでいたとは思えない。
 喜久雄は、人間国宝の認定を心から喜んだであろうか?喜ぶではあろうが、それを求めてきたことの到達点とはしなかったと思う。
 喜久雄は、彰子や、春江や、綾乃や、社長の竹野や、成功して戻ってきた徳次から、人間国宝を祝う言葉を聞き、満足するであろうか?満足はするであろうが、お祝い騒ぎに一区切りつけば、また新たな役に挑戦したと思う。
 どこまでいっても、完璧を求め続ければ、やはり、どこかで舞台の世界だけに生きるしかなくなると感じる。完璧を求めることをやめるには、役者をやめるしかない。役者をやめるということは、喜久雄にとっては、生きることをやめるということだ。

 世の中のほとんどの人々は、喜久雄の生き方はできない。同時に、多くの人々が、喜久雄の創り出すような芸術に陶酔する。人間とは、不思議な生き物だと思う。


 ※『国宝』全編についての感想は、まだこの後も書くつもりです。