『国宝』の主人公は、歌舞伎の舞台に立つ魅力に取りつかれただけの人間だった。
 『国宝』の全編を通して、「喜久雄」は、空っぽの人間に描かれていると感じる。
  好きになった「春江」と「市駒」と「彰子」、認知した娘「綾乃」、綾乃が生んだ孫娘「喜重」、育ての母親「マツ」、実の父のように感じた「二代目半二郎」、散々世話になった「幸子」、共に修行し互いに競い合った「五代目白虎」、兄同然だった「徳次」、「喜久雄」が大切に思う人は多い。しかし、そのだれよりも大切したのが、歌舞伎の舞台に立つことだったのは明らかだ。
 家族であっても恩人であっても親友であっても、芸の上達ためには犠牲にする者だけが、稀代の役者になることができる。芸術を創り出す真の名人は、「喜久雄」が歩んだように、運命の命じるままに求めるもののためだけに生きなければならない。
 作者は、「喜久雄、三代目半二郎」という主人公を通して、至高の芸術を生み出す者の喜びと孤独と悲しみを描いていると感じる。
 「喜久雄」は、完璧な歌舞伎役者を求め続けただけで、他の人を思いやって、歌舞伎のことを二の次にすることは、まったくなかった。人を思いやるどころか、役作りに没頭すると、周囲の人のことなど考えもしなかった。
 その意味でも、「喜久雄」は、人間として空っぽだと感じる。

 ‥‥ただ、「喜久雄」という人間の存在が、「人間国宝」の歌舞伎役者というだけなのか、というとそうとも言い切れない‥‥