「春江」と「市駒」と「彰子」、この三人の「喜久雄」を巡る関係を考えれば、互いに憎み合っても無理はない。
 それなのに、この三人は憎み合うどころか、互いに感謝し、尊敬し合っている。
 「俊介」から、丹波屋の御曹司の位置と役者のプライドを奪ったのは、「喜久雄」だ。たとえ、「俊介」がプライドを取り戻しても、憎しみとわだかまりは、そう簡単に消えるものではない。
 それなのに、「俊介」は、「白虎」を襲名するときには、「喜久雄」への感謝を言葉にしている。さらに、両足を失った「俊介」が信頼したのは、当の「喜久雄」だった。
 父を殺した張本人の告白を聞いた「喜久雄」が、目の前の「辻村」に対して動揺と憎悪を隠し切れなかったとしても、それはむしろ自然な反応だと思う。
 それなのに、死期を悟った「辻村」の告白を聞いた「喜久雄」は、平静で、「辻村」を許す言葉さえもらした。

 むすびつくことが難しい関係の人と人とを、むすびつけてしまう。それが、「喜久雄」だった。「喜久雄」がいなければ、「喜久雄」が、歌舞伎だけを求める人間でなければ、この小説の登場人物たちがむすびつくことはない。
 「喜久雄」は、あまたの観客に喜びを与えただけでなく、周囲の人と人をむすびつけていた。

 親を殺した張本人を前にして静かな気持ちでいることができる人が、「喜久雄」だから、読者もそこに共感してしまうと感じた。