新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第19回2018/6/20 朝日新聞

 佐山夫妻を心配していた「私」の気持ちが伝わる。しかも、子ども喪った悲しみだけでなく、奥さんのことを心配していた佐山の心中を察していることも伝わってくる。
 また、紺野とのいかにも学生時代から続いているようなとぼけた会話に、「私」と佐山と紺野のつながりが表れている。

 我が子の突然の死という悲しみを友人がどう受け止め、その友人にどんなことができたかがもっと詳しく描かれるのであろう。
 それはまた、孫の誕生ということを友人間でどう受け止めるか、にもつながるのであろうか。

 読者としての私は、子どもの頃に三世代同居の家庭生活を経験している。現在と比べて、近隣の人々とのつながりが濃く、家族の人数が多く、一家族の子供の数も多かった。そうすると、人の生死を経験する機会も少なくなかった。しかし、それはもう過去のことだ。
 一夫婦の子どもの数が、四人以上の場合と、二人以下の場合では、あらゆる面で違いが出ると思う。
 「私(長谷川洋一郎)」と友人の場合は、近隣とのつながりは薄く、家族の構成は親子だけであり、兄弟の数は少ないという経験のみだと思う。
 そういう場合には、佐山夫妻が陥ったような状況が生じやすいと感じる。
 むろん、明治時代や大正時代や昭和の戦前であっても、我が子に先立たれた親は悲しみにくれた。悲しみに圧し潰されそうになるのは同じだが、その悲しみをどう乗り越えるかでは、昔と今では違いがあると思う。