19回の挿絵を見ると、この佐山夫妻を応援したい気持ちになる。
 一人息子を亡くした両親の心情はもって行き場がない。少し、前であれば、大切な人の死に向き合う方法として、慣習としてある葬儀や法事を執り行うことに忙殺されたであろう。また、葬儀に要する時間や場所は、いろいろな人と悲しみを分かち合う空間でもあった。それは、多分に表面的ではあったが、亡くなった人を惜しむ空気は確かに存在した。
 現在は、死者を弔う時間や場はどんどん簡略になっていく。また、具体的には、すっかり商業ベースにのっている。だから、たとえ葬儀に多くの人々が集まっても、それが終われば、たちまち人々はいなくなってしまう。
 佐山夫妻も、ある日数が過ぎれば三人いた家族が、両親二人だけで暮らすことを突き付けられたと思う。そういう、空虚感をなんとかするために、夫妻は考えに考えて『よしお基金』を起ち上げたと思う。
 この活動は、意義あることだ。しかし、死者を悼む多くの人がこういう活動ができるか、といえばそうもいくまいと思う。