新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第54回2018/7/26 朝日新聞

 どんな思い出も、時間と共に薄れていく。
 心の底からの悲しい思いは、時間が経っても薄れることはない。
 このどちらも真実だと感じる。

 万葉集の柿本人麻呂の歌にある。
万葉集 巻2 211万葉集のかたわらにキーボード
去年見てし 秋の月夜は 照らせれど 相見し妹は いや年離る

今夜は月が美しい。
去年の秋の夜は妻といっしょに月を眺めていた。
月は変わりなく夜空を照らしている。それなのに、いっしょに見た妻はこの世にいない。
時が経てば経つほど、妻と共に過ごした日々が遠いものになっていく。

万葉集 巻一 49 柿本人麻呂万葉集のかたわらにキーボード
日並の 皇子の尊の 馬並めて み狩立たしし 時は来むかふ

昔、この場所で、軽皇子の父上であられた日並(草壁)の皇子が、狩りを催されました。
まさに今、あの時と同じ季節を迎えます。
今は亡き日並の皇子が馬を並べて、狩りへと出発された様子が目に浮かぶようです。
さあ、今こそ軽皇子も父上と同じように、馬をお進めください。


 万葉集の歌には、亡き人の思い出が薄れていくことと、何年経っても、亡き人の在りし日のことがまざまざと浮かんでくることの双方が繰り返し、表現されていると感じる。その意味では、古代も現代も同じだと思う。