新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第110回2018/9/22 朝日新聞

 私は、今年七十歳になった。親はすでにいない。だが、自分のこれからのことを思うとき、また、この年になって我が子のことを思うときは、親と自分とがどうだったかを思い出す。
 私が子だったときは、子が高齢になっても、親にはその認識が薄かった。八十歳の親が六十歳の子(私)を子ども扱いするのだ。子の立場のときは、ずいぶんと理不尽なことだと思った。
 でも、今は四十代の私の子は、きっと、私に対して「いつまでも子ども扱いするな」と思っているだろう。
 子にとって、親は、人生のあらゆる場面で、ひとつのモデルになる。
 洋一郎には、「父」というモデルが欠落しているのだろう。

 今までの回でも出てきたが、事情があるとはいいながら、父の顔をまったく思い浮かべることができないというのは、なんとも寂しいというか、歯がゆいというか、そんな感情なのだろう。川端さんに、似ていると言われたときの洋一郎の反応が、洋一郎の心理をよく表している。