新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第126回2018/10/8 朝日新聞

 洋一郎が父の遺骨の前でビールを飲みながら孫の誕生を知らせる場面が、しんみりとしたいい場面になったなら、この小説そのものが安手のドラマになってしまうところだったが、そうはならなかった。
 洋一郎は、なぜクサくて学芸会でもやらないような場面とわかっていながら自ら身を置いているのだろうか?
 洋一郎は、孫の誕生に感動し、うれしくてたまらない。だが、その感動や喜びを分かち合う相手がいない。妻は、孫の世話に張り切っているが、洋一郎の感動には冷ややかだ。娘夫婦は、自分たちの喜びに夢中で、おじいちゃんの気持ちを察することなど考えもしない。親友の二人なら、同年齢の者同士で気持ちが通じるはずだが、佐山はもちろん、紺野にも洋一郎の方から孫の誕生の喜びを話すわけにはいかない。
 これは、主人公だけではないだろう。現代のおじいちゃんは、育児ではそれほど役に立たないし、昔のように名付けについて相談されるような権威もない。結局は、お母さんとおばあちゃんを中心とする家族の幸福の輪からそれとなくつまはじきされている存在だと思う。