新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第275回2019/3/12 朝日新聞

 洋一郎以外の人は、石井信也の我が子への思いを聞いてしんみりしているが、洋一郎はどうであろう。
私が洋一郎の立場なら、父の気持ちをうれしいとか、生きているうちに父と会えばよかったは素直には思えない。
 父が、別れた家族に会いたかったという気持ちを誰にも言わず、会いたいが会わせる顔がないし、会うべきではないと思っていたとする。私なら、その方が、気持ちが軽くなると感じる。
 死んだ人の言葉や行動をどう受け止めるかは、生きている者の感じ方次第だと思う。死者は、どう受け止められても、それを肯定も否定もできない。
 
 「遺された者に迷惑をかけないように」というフレーズを、最近は盛んに聞くが、私は、この言葉を信じられない。例えば、中途半端な額の財産を遺したがゆえに、遺族がいがみあいになるという例は多い。 
 死ぬときは、何も遺さない、何の遺言もない、これが理想だ。