シュートを投げていれば、賭けから降りていれば、眼鏡の男のその後は変わったはずだ。
 だが、‥‥。
 一軍に上がり、登板の機会が得られても、そこで目覚ましい成績を上げるだろうか?
 負けを予知して勝負から降りれば、この場の負けはなくなる。でも、次のゲームで同じようなチャンスが訪れた時に、彼はリスクを下げることをするだろうか?

「(略)俺は投げたのかな、シュートを。そうしたら俺の人生はどうなっていたのか、どうもなっていなかったのか。‥‥どうだろうな。」

 眼鏡の彼は、今、たどり着いている境遇と気分を、必ずどこかで味わうと、私は思う。
 
 占いというのは、当たると思う。ただし、占いに従って厄難を回避して、幸福になったからと言って、その当人の心に変化が生じると、私は思わない。将来を予知できるとしても、その将来は果てしなく続く。
 どんなに、物質・境遇で豊かになろうと、より多くの財貨を得たいという欲は、減りはしない、と私は思う。

「僕」」は、再び殺人者になることを求められている。少年の頃は、悪魔に、殺人をなすことを求められた。今の「僕」は、現実の人間に、殺人を求められている。「僕」の中の悪魔「ブエル」と、神「ディオニュソス」は、何か言うだろうか?