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新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 の感想と、読んだ本の感想を更新しています。

カテゴリ: 夏目漱石 『門』の感想 

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第96回2016/2/19

 宗助の考えは、老師によってたちまち退けられた。
 答えに自信はなかった。座り続けて得た答えでもなかった。全くわかりませんでした、というのでもない。
 座禅は続かなかったが、宗助は宗助なりに考えに考えた答えだったと思う。

 老師にははねつけられたが、これを考えていた間は、安井への罪の意識からは逃れていたのではないだろうか。

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第95回2016/2/18

 公案に対する考えを述べようとする修行者たちの様子が詳しく描かれている。
 身を入れて坐ることもしなかったのに、宗助は意外に平気なようだ。真剣に座禅をして、公案に取り組んではいないのに、老師の所へ行く手順や周囲の様子へは強い興味を持っている。
 こうやって、他の修行者の様子を観察している間は、安井の影に付きまとわれる不安を一時的に忘れているようにも見える。

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第94回2016/2/17

 心の救いを求めて、座禅の修行に来たのに、身を入れて座る努力もせずに時間を過ごす宗助が描かれている。
 宗助の行動と気持ちは、山寺へ来る前と何の変化もないように見える。表面的にはそうなのだが、本当にこの寺に来たことは無駄なことなのだろうか。

日は懊悩と困憊の裡に傾いた。

 僧と修験者と飯を食い話をし、村の中をうろつき、あとは何もせずに過ごした一日だった。それなのに、宗助は、今まで以上に悩みもだえ、悩むことでくたくたに疲れ切っている。これは、なぜなのか。
 

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第93回2016/2/16

 座禅がうまくいかないと自覚した宗助は、書物を助けにしてみようとする。しかし、それも宜道によって止められた。
 
彼はただありのままの彼として宜道の前に立ったのである。しかも平生の自分より遥かに無力無能な赤子であると、更に自分を認めざるを得なくなった。

 座禅を一日続けようという気力も体力もない。かと言って、寺にいることを止めようともしない。ただ、自分の「無力無能」を認めることはできた。
 悩みを克服するには、己の無力無能を認めることは必要なことかもしれない。
 

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第92回2016/2/12

彼は悟りという美名に欺かれて、彼の平生に似合わぬ冒険を試みようと企てたのである。そうして、もしこの冒険に成功すれば、今の不安な不定な弱々しい自分を救う事が出来はしまいかと、果敢ない望みを抱いたのである

 これから宗助は座禅を始めようとしている。その場面で、宗助の企てが成功しないことが、表現されている。それは、作者の視点からの表現であるが、同時に、宗助も自覚したのであろう。
 宗助は、山寺を逃げ出すことはしなかったが、座禅を早々に止めて、サッサと寝てしまった。

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第91回2016/2/11

 いよいよ座禅の修行が始まったが、それは宗助が期待していたようなものではなかった。
 宗助は、他者に対する責任を強く感じ、その罪の意識から逃れることができずに、苦しんだ末に、この寺へ座禅に来た。それなのに、その心の苦しみに触れるようなものは何も得られそうそうもない。
 
 禅寺での修行ではなくて、他の宗教の門を叩いていたら、宗助が今求めていることに応えてくれたかもしれない。だが、直接的な教えが、不安と悩みを乗り越えるものになるとは限らないと感じる。
 

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第90回2016/2/10

 宗助が訪れた庵には、もう一人の修行者がいた。その男は、修行に来てもう二、三年になるというのに、宗助の目には次のように映っている。

彼は剽軽な羅漢のような顔をしている気楽そうな男

 宗助は、当時の世間一般の人々に比べれば、静かでつましく寂しい生活をしている。そんな宗助にとってさえ、修行に来ている人たちは、より静かで、世間の考えから離れた生活ぶりをしていると、感じている。
 しかし、宜道や他の修行者を尊敬して、自分もあのようになりたいとは、思っていないようだ。
 また、寺の周囲の「幽静な趣」は感じても、それで心が休まるとは感じていない。

 心の救いを求めて寺へ来たのに、その場の雰囲気と修行者の様子を客観的に見ているところが、非常におもしろい。

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第89回2016/2/9

 宗助が役所勤めを休んでまで、座禅に出かけるには相当の決心がいったと思う。そうしなければ居たたまれない心境だったことが改めて分かる。
 それと同時に自己にとって最大の苦しい心境を、乗り越えようとしていることも分かる。その乗り越える道は、何かにすがることで救われようとするのではなく、自身を変えようとしているのだと感じる。


悉く寂寞として錆び果てていた。

 自身の心を自身で変えるために訪れた寺は、寂しく閑散としたものだった。
 だが、紹介の手紙にあった宜道という若い僧は、温かく宗助を迎え入れている。

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第88回2016/2/5

 宗助は、苦しくて逃げ回っているように見える。
 だが、責任転嫁は一切しない。自分を不幸だと一言も嘆かない。

朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第87回2016/2/4

 宗助は一人で酒を飲んでも気持ちは紛れない。家で御米や小六に、自分の気持ちを打ち明けることすらできない。

 家父長制に縛られて「家」を守ることに精力を費やし、結婚は親が決めた通りにして、職場では出世を目指し、いつも世間の目を意識して生きる人生が、明治時代には正しいとされていた。しかし、宗助は、そのような生き方では、どこにも自分の真の居場所を見いだせない人だと思う。
 「家」を捨てて、愛する人と結婚し、職場では目立たぬようにして、世間の目を逃れて暮らしてきたのが、宗助であった。その宗助が、居場所がないと感じ始めた。

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