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新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 の感想と、読んだ本の感想を更新しています。

カテゴリ: 新聞連載小説・夏目漱石・『吾輩は猫である』の感想

朝日新聞連載小説『吾輩は猫である』夏目漱石第40回2016/6/2

 苦紗弥のことは、「吾輩」が一番よく観察し、「吾輩」の視点から描かれていることが多い。この回では、細君から見た苦紗弥が描かれている。さらに、雑誌の評での苦紗弥のことも出てくる。
 「吾輩」の視点からは、苦紗弥の言動は誇張されている感じがするが、細君の視点からはそういう誇張があまり感じられない。苦紗弥の普段の言動が誇張なしに伝わってくる。

朝日新聞連載小説『吾輩は猫である』夏目漱石第38回2016/5/31

 細君からの難題を、苦紗弥はあっけなく片付けてしまった。苦紗弥を、さすがだと思う。彼は、言い訳がうまいわけではない。また、細君の言葉をいい加減に聞いているようで、そうではないと思う。つまるところ、苦紗弥は、金銭にこだわらず、収入の少ないこともあきらめているのだと思う。

 苦紗弥と迷亭の会話を、ばからしいと感じながらおもしろがっていた。だが、だんだんに愛すべきものと思えてきた。
 センスのよい気の利いた会話とはなんだろうか。役に立つまじめな会話とはなんだろうか。そんなものがこの世に存在するのだろうか。存在するとは思うが、そのような有益な会話が日常的になされると思えない。
 そうだとすると、苦紗弥と迷亭の会話の価値が変わってくると思う。

朝日新聞連載小説『吾輩は猫である』夏目漱石第37回2016/5/30

 吾輩にとっては、三毛子や黒よりも、迷亭、寒月の方が観察のしがいがあるということだ。そして、最も興味深い観察対象は、「主人」苦紗弥なのだろう。
 その主人に細君からとんでもない難題が持ち込まれそうだ。

朝日新聞連載小説『吾輩は猫である』夏目漱石第36回2016/5/27

 珍しく、「吾輩」が「主人」を褒めている。

(略)その活眼に対して敬服の意を表するに躊躇しないつもりである。

 私も、苦紗弥を優れた人物だと思うようになった。どんな点でそう思うかと尋ねられると、まだうまく答えられないが、その静かな生き方と他人の称賛を浴びようとしない所は好きになってきた。まさに、「活眼」の人物であると感じる。


 三毛子の家の主人と下女のやり取りを読むと、実に人の実相を描いていると思う。
 人は、誰かを悪者にしないと安心して生きていけない所がある。私の場合も、周囲に誰か「悪人」を発見すると途端に、思考が活気づく。その「悪人」を非難する意見に同調する人が現れると、会話が盛り上がる。周囲に非難すべき「悪人」を発見できないときは、報道されるニュースの中から「悪人」を見つけ、関係もないのに怒る。
 一方では、何かのきっかけで、自分が「悪人」役にされると、非常に落ち込む。

朝日新聞連載小説『吾輩は猫である』夏目漱石第35回2016/5/26

人間というものは時間を潰すために強いて口を運動させて、可笑しくもない事を笑ったり、面白くもない事を嬉しがったりする外に能のない者だと思った。

 ここまでは、「吾輩」の人間全般に対する批評だ。この後に、「主人」苦紗弥と迷亭、寒月への批評が続く。その内容は次のようなものだ。
 苦紗弥は、表面では世の中のことに超然としているように見える。だが、彼にも欲があり、、迷亭や寒月に競争心をもっている。
 苦紗弥も迷亭も寒月も中身は俗物だ。だが、その言語動作が、世間一般の物知りぶる人々と違って、型にはまったものでない所が救いになっている。
 このような「吾輩」の批評を読むと、この三人、特に苦紗弥という人物に関心が湧き、親近感を感じてくる。
 以前にこの小説を読んだときは、この三人に共感したことなどなかったのに不思議だ。

朝日新聞連載小説『吾輩は猫である』夏目漱石第34回2016/5/25

 苦紗弥の話は、迷亭と寒月のものとは違っていた。話の落ちがない。
 それだけに、二人の嘘の話ではなく、人間の本質を描いている逸話と受け取れる。
 
 妻が楽しみにしていることを実現させるのは、全く妥当なことだ。大切に思っている妻のたまの希望を叶えてやりたいと頭では理解している。
 しかし、なんとなく気が進まない。気の進まない外出を妻から催促されると、ますます行きたくなってしまう。それでは遺憾と、無理矢理に行こうとすると、今度は体がいうことを聞かない。
 苦紗弥は、そういう経験を話していると思う。

人は、わがままな存在だ。人のわがままを、理屈で正そうとしても抑え込むことはできない。道徳と理性で、自己のわがままな感情を抑えれば、身体が不調を訴え始める。それを、描いていると思う。
 現代では、過剰なストレスがかかると精神面だけにとどまらず、身体的な不調をきたすことは一般にも知られている。しかし、そう考えられるようになったのは、最近であろう。
 精神的なストレスが身体的な不調を起こす仕組みは複雑な要素が絡み合っていて、現代でもまだ解明されていないことが多いようだ。
 明治時代の漱石が、精神と身体の関係にも注目していると思う。

朝日新聞連載小説『吾輩は猫である』夏目漱石第33回2016/5/24

 前回と今回は、連載としてのこの小説の特徴が出ていると思う。以前に読んでいるのだが、この辺りのことは忘れていて、次回を待ち遠しく感じる。
 短編小説とするなら苦紗弥の話は、私小説の雰囲気だ。

朝日新聞連載小説『吾輩は猫である』夏目漱石第32回2016/5/23

 寒月の話は、なんともたわいのない結末だった。
 迷亭の場合は、話のはじめから嘘が見えていたが、寒月の場合は話の前半は真実味があった。
 苦沙弥の話は後半に入っても真実味がある。
 この三人の話をそれぞれ短編小説とするなら、小説創作の方法論の題材になりそうだ。

朝日新聞連載小説『吾輩は猫である』夏目漱石第31回2016/5/20

 寒月の話は、ずいぶんと真に迫って聞こえる。だが、怪談じみていてとても経験談とは思われない。
 迷亭の話との違いはなんだろうか。自分の経験として語っている所は同じだし、知人が登場する所も、場所がらも、そして、話の核心も共通している。
 これは、この話の結末を聞いてみなければ、違いが見えてこないようだ。
 川に飛び込んだ当人が無事であったことだけは、確かなのだが。

朝日新聞連載小説『吾輩は猫である』夏目漱石第30回2016/5/19

 迷亭の話は、なんともあきれた作り話だ。しかし、全ての物語の根本は作り話だということもできよう。
 迷亭のうそを承知していながら、寒月も話を作るようだ。

 猫はうそをつかない。
 なぜか。
 猫は言葉を使わないから。

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