小説『クラウドガール』のストーリーについて、推測をくどくどと書いた。これを読んでくださった方で、似た受け取り方をされた方も、なんてひねくれた読み方をしているかと思われた方もいらっしゃるはずだ。同じ小説を同じペースで読んでも、どこに注目するかで、ストーリーさえも違ったものになる。
私が接することのできる情報の全てが大量になり、速くなっている。最近は、既に起こったことなのか、起こりそうなことなのか、の判別さえ気をつけなければならない。そうなってみて、つくづく何が本当なのかが分からなくなった。
たとえば、テレビ放送を通して流されている医療に関する情報は、ほとんどが発表されている研究成果の受け売りだ。医師による解説であっても、解説をしている医師本人が実験実証したものではない。だから、複数の専門家なる人々が同じことを言う。新たな研究成果の発表があれば、今度はテレビ放送の出演者は、前の説明をみんながそろって訂正する。
新聞紙上では、北海道内の多くの自治体の財政が危機的な状況だと何度も報道されている。では、北海道に住んでいる私がいつどんな影響を受けるのかはなかなかつかみづらい。
近所のコンビニの安売りのチラシ広告が入っている。でも、ディスカウントしている商品が、いつの値段に比べて安いのか、そして容量に変化はないのかは分からない。
結局、どの情報から何を選択し、自分の生活にどこを役立てるかは、自分で決めるしかないと思う。
私たちは膨大なデータベースと共に生きていて、もはやそこから決定的な嘘も、決定的な真実も捉えることはできない。文字、画像、映像、あらゆるデータを、無制限に保存できるようになった私たちは、それらがどれも修正可能な、不確かなものでしかないと思い知らされた。私たちにできるのは、どの情報を採用するかという選択だけだ。(最終回)
私も生きていく上で、次のことを自分で行わなければならない。
大量に流されている高齢者向けの健康知識や、健康食品、サプリメントなどの広告情報を採用するか否か。老人の暮らし方への様々な提案を採用するか否か。自分とは異なる世代の人々のことを説明している情報の何を信頼するか。日本の現状や世界の動向についての様々なニュースの中からどこに注目するか、などなど。
自分の生活に関連する膨大なデータベースが不確かなものであるということを認識する。そして、その膨大で不確かな情報の中から何を採用するか、常に選択し続けなければならない。その選択を誤ったとしても、それは自分の責任でしかないと思う。
物にも、能力にも、容姿にも恵まれながら、激しい寂しさに包まれ、他者と触れ合うことを渇望し続ける姉妹の物語を読みながら、そんなことを考えた。
以上で、『クラウドガール』の記事を終わります。
私が接することのできる情報の全てが大量になり、速くなっている。最近は、既に起こったことなのか、起こりそうなことなのか、の判別さえ気をつけなければならない。そうなってみて、つくづく何が本当なのかが分からなくなった。
たとえば、テレビ放送を通して流されている医療に関する情報は、ほとんどが発表されている研究成果の受け売りだ。医師による解説であっても、解説をしている医師本人が実験実証したものではない。だから、複数の専門家なる人々が同じことを言う。新たな研究成果の発表があれば、今度はテレビ放送の出演者は、前の説明をみんながそろって訂正する。
新聞紙上では、北海道内の多くの自治体の財政が危機的な状況だと何度も報道されている。では、北海道に住んでいる私がいつどんな影響を受けるのかはなかなかつかみづらい。
近所のコンビニの安売りのチラシ広告が入っている。でも、ディスカウントしている商品が、いつの値段に比べて安いのか、そして容量に変化はないのかは分からない。
結局、どの情報から何を選択し、自分の生活にどこを役立てるかは、自分で決めるしかないと思う。
私たちは膨大なデータベースと共に生きていて、もはやそこから決定的な嘘も、決定的な真実も捉えることはできない。文字、画像、映像、あらゆるデータを、無制限に保存できるようになった私たちは、それらがどれも修正可能な、不確かなものでしかないと思い知らされた。私たちにできるのは、どの情報を採用するかという選択だけだ。(最終回)
私も生きていく上で、次のことを自分で行わなければならない。
大量に流されている高齢者向けの健康知識や、健康食品、サプリメントなどの広告情報を採用するか否か。老人の暮らし方への様々な提案を採用するか否か。自分とは異なる世代の人々のことを説明している情報の何を信頼するか。日本の現状や世界の動向についての様々なニュースの中からどこに注目するか、などなど。
自分の生活に関連する膨大なデータベースが不確かなものであるということを認識する。そして、その膨大で不確かな情報の中から何を採用するか、常に選択し続けなければならない。その選択を誤ったとしても、それは自分の責任でしかないと思う。
物にも、能力にも、容姿にも恵まれながら、激しい寂しさに包まれ、他者と触れ合うことを渇望し続ける姉妹の物語を読みながら、そんなことを考えた。
以上で、『クラウドガール』の記事を終わります。