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朝日新聞連載小説『国宝』『ディス・イズ・ザ・ディ』の毎回ごとの感想と、読んだ本の感想を更新しています。

カテゴリ: 新聞連載小説 吉田修一作 国宝 の感想

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第255回2017/9/19

 幸子が復活した。「口うるさい梨園の姑」いかにも、幸子のはまり役だ。
①興行面の計画は着々と進んでいる。
②歌舞伎界の後ろ盾は、小野川万菊が控えている。
③経験豊かな幸子は肚を決め、春江はその幸子やお勢の気持ちをつかんでいる。
 これで、俊介の舞台復帰の準備は万端だ。特に、春江、一豊、幸子、弟子や使用人がしっかりと気持ちを一つにしているのが、大きい。
 一方、喜久雄は、はしごを外されたも同然だ。喜久雄にも子はあるが、娘では歌舞伎役者の跡継ぎになり得ない。大阪の屋敷をたためば、喜久雄の借金は軽くなるが、それも喜久雄を丹波屋から離れさせることにしかならないだろう。
 喜久雄、三代目半二郎には、興行面を仕切る人物も、大御所の後ろ盾も、歌舞伎役者を支えられる家族もいない。
 それこそが喜久雄本来の姿でもあるのだが‥‥

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第254回2017/9/18

「俺な、逃げるんちゃう。……本物の役者になりたいねん」
 こんな思いだったとは!予想できなかった。お勢さんが言うように、俊介は家を出ても自立できないと私は思っていた。白虎(半二郎)の言葉通り、逃げ出したと思わされていた。
 この言葉通りに俊介が行動していたなら、私の予想238回感想は、大外れだ。それどころか、辻村の世話になっていたのは、俊介ではなく、喜久雄の方だったことになる。
 俊介のこの言葉を聞いて、春江が一緒に身を隠したとすると、春江の本性についても、前回の感想「食うため、大切な人を生かすためには、理想や体裁などにとらわれない生き方」も大間違いだったことになる。春江は、俊介を「本物の役者」にするためにこの十年余りを過ごしてきたのであろう。
 すごく、おもしろくなってきた。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第253回2017/9/17

 啖呵を切るのでも理詰めの談判でもなかった。女の図々しさで、母の厚かましさで押し切った。
 これが、春江の本性なのかもしれない。現実と生活に密着した人。食うため、大切な人を生かすためには、理想や体裁などにとらわれない生き方なのであろう。
 お勢さんの問いかけに春江は素直に答えるような気がする。そして、春江の答えは回りくどさや言い訳などのないものだと思う。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第252回2017/9/16

 常識のある嫁なら、夫俊介に言って、義母幸子の度を越した信仰に意見をさせるだろう。春江が自分から動くとしても、先ずは義母へ直接話をするだろう。そうしないで、新宗教の親玉幸田との直接対決を春江は選んだ。
 春江は、どう出るか?威勢のいい啖呵で喧嘩腰になるか?それとも、何を言われてもめげないで、粘り強く応酬するか?
 いずれにしても、ここで春江の本性が描かれるように思う。
 マツは、病気の妻がいる権五郎の所に入り込んだ。権五郎が死んでからは組を潰してしまって、女中にまで落ちぶれた。義理の息子の喜久雄が役者になってからも自ら進んで働いている。表面を見ると、マツはそういう女だ。しかし、マツの表面と内面は違う。
 春江も、表面と内面は違うと思う。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第251回2017/9/15

 女、とりわけ母の意志が、物事を決めている。
 マツがいなければ、喜久雄に歌舞伎の素養は育たなかった。幸子がいなければ、俊介と喜久雄の関係は保たれなかった。東京の舞台で役のつかなくなった喜久雄を立ち直らせたのは、母となった市駒だ。俊介がこの十年余り生きてこれたのは、春江がいたからだろう。
 その春江が母となって、以前の面影のない幸子とともに、大阪の屋敷にいる。俊介の舞台復帰の前に、春江が丹波屋の若女将として、動きそうだ。
 背に刺青を背負い、何度も落ちる所まで落ちながら、強く生きている春江。なんとも、魅力的な女で母だ。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第250回2017/9/14

 こういう喜久雄を見たことがない。いや、これに近いことはあった。大阪弁に慣れようとして、なかなかなじめなかったのが、いつの間にか大阪弁になっていた。それは、極道の息子から役者への転生でもあった。
 大阪弁から東京弁への変化は、あの時よりも劇的な転生になると思う。

今後につながりそうな要素
①喜久雄は、俊ぼんと丹波屋のことより、自分のことを考えようとしている。
②喜久雄に抱きつかんばかりに現れた彰子は、江戸歌舞伎の大看板、吾妻千五郎の次女で、大学生であること。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第249回2017/9/13 

 喜久雄と俊介は、対等の関係になったことがないし、これからもなれない。
 喜久雄が初舞台を踏む前は、稽古で同じように扱われていても、御曹司の俊介と素性の分からない喜久雄にはあまりにも歴然とした差があった。『娘道成寺』で、二人揃って人気が出た時は、喜久雄は歌舞伎役者の端くれとして認められたというだけで、俊介の御曹司の立場は揺るがなかった。
 それが、白虎(半二郎)の交通事故による代役で、立場が大逆転した。その逆転は、俊介の出奔、喜久雄の襲名で更に固まった。
 この二人は私的な面では和解しても、芸の上では常に争い続ける関係に運命づけられている。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第248回2017/9/12 

 痛めつけられて、歌舞伎の舞台に立つことができなくなったが、綾乃と市駒と時間を過ごすことで、立ち直った喜久雄だった。その喜久雄を、『太陽のカラヴァッジョ』の時よりも、重く厚いものがじわじわと責め上げ始めたようだ。
 「凄惨を極める暴行を受ける」歌舞伎の女形だった兵士よりも、もっと辛い目に遭わされる襲名した歌舞伎役者が、喜久雄の今後だと思う。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第247回2017/9/10 
 
 いよいよ、俊介の復活劇が始まった。万菊主導ならまだしも、竹野が画策しているとすると、喜久雄はもっともっと追い込まれる。
 徳次が、暴走しなければいいが‥‥

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第246回2017/9/9

 私と私が招待した客のためだけに、三日間歌舞伎公演をしてくれれば、出演料として借金の額を全部払う。私のためだけに、毎月一時間程度の舞を舞ってくれれば、月々のお弟子や使用人に払う額を毎月払う。だから、喜久雄さんは金のことを考えずに、芸だけに精進なさい。
 ‥‥フィクションの世界はいいなあ。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第245回2017/9/6

 たとえ、から元気であろうといつも威勢のいい徳次だが、さすがに煮詰まっているようだ。
 俊介が戻って来て、幸子は喜んだろうし、孫の一豊を見てさらに喜んだと思う。喜久雄も徳次も、俊介との再会に興奮した。しかし、喜久雄がいい役につけない状況に変化はなさそうだ。 
 そして、万菊を驚かせた俊介の化け猫の芸については、喜久雄には一切話されていない。

 もしも、竹野のプラン通りに俊介復活の筋書きがテレビで取り上げられたとしたら、どうなるだろう?恐らくは、喜久雄には何も知らされずに、いきなり番組が放映されるだろう。その番組では、喜久雄は完全な悪役として印象づけられる。視聴者も歌舞伎の関係者も、その番組で描かれていることを事実として受け止める。
 復活した俊介の立場と、見世物小屋で磨いた芸は、世間からも歌舞伎界からも同情とともに絶賛されると思う。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第244回2017/9/7

その一
 見事な変わりようだなあ。

(略)こちらは明らかに別の女、自分の知らない匂い立つような色気の女(略)

 しかも、その色気が母親としてのものだと描かれている。
 春江は、登場の度に、別の女として現れる。公園の暗がりに立つ少女。喜久雄に寄り添い、刺青の痛みに耐える少女。喜久雄を追って出て来た都会に戸惑う少女。大阪のスナックで故郷の料理を出し、スナックを繁盛させる女。大阪のバーで、人気者となった女。俊介と一緒に行方をくらました女。
 だが、今回の変化が一番大きい。それだけの出来事があったのであろう。

その二

「立派な名前や。……立派なお山さんの名前や」

 喜久雄は、俊介と春江の子を見たとたんに、この子一豊が丹波屋の跡取りだと直感したのだと思う。209回感想231回感想その2から類推した。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第243回2017/6/4 

(略)二十歳と三十歳の男が変わっておらぬはずもなく、それがただ年相応な外見の変化であればよいのですが、さっき再会した俊介にはそれ以外の変化、たとえば二十歳のころには笑っていたことに、もう笑えなくなっているような、未(いま)だに肩は叩(たた)き合えるのに、その力加減が違うような、そんなちょっとした冷たさが伝わってきたのでございます。

 前回で、伝わって来た「悲しみ」は、こういうことであったのか。
 いや、このことだけではない。また、三友や竹野が企てていることにつきまとうものだけでもない。もっと、その奥にあるもののようだ。


 姿を隠していた間に俊介と春江に何があったかは、どうでもよくなってきた。現在の俊介と春江がどんな人間になっているのかを知りたい。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第241回2017/9/4

その一
 三友本社と竹野の話はすっかりまとまっている。俊介を見つけ、その芸を万菊に見せたことなどの事実は、喜久雄には伝わっていない。
 竹野が考えた「失意のまま見世物小屋の芸人にまで落ちた元丹波屋の若旦那がもし見事に舞台に復活」(237回)を、テレビで特集するという構想は進んでいるのであろう。

その二
 ここのところ、徳次の行動がどうも引っかかる。
①『太陽のカラヴァッジョ』の撮影で喜久雄が受けた扱いを、徳次は知らない。
②市駒、綾乃、喜久雄の所に来た徳次の目的が語られていない。喜久雄の気持ちが回復したことを読者に伝える役目だけだったのか?
③俊介発見が喜久雄に伝わった場面(今回)で、徳次の行動が妙に詳しく語られている。俊介を非難しているのも気になる。


 俊介が舞台に復活するための筋書きは、万菊の力もあって、既にでき上がっていると思う。そして、歌舞伎への意欲を取り戻した喜久雄には、「三代目半二郎の名跡を奪った喜久雄を完全な悪役にする」(237回)という筋書きが待っていると思う。
 
 センセーショナルな事件ほど、最も関係の深い人にさえ真実が伝わらない。報道機関や周囲の人々は、事実や当事者の心情に関わりなく、よりセンセーショナルな方向へと、世間の傍観者を誘導しようとする。それが世の中の常であると感じる。

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