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朝日新聞連載小説『国宝』『ディス・イズ・ザ・ディ』の毎回ごとの感想と、読んだ本の感想を更新しています。

カテゴリ: 新聞連載小説 吉田修一作 国宝 の感想

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第272回2017/10/6 

 市駒になんて言うんだ。綾乃はどうなるんだ。それもあるが、東京の歌舞伎の舞台で一からやり直すと言っていた決心はどこへ行ったんだ。 
 が、この方が、いかにも喜久雄だ。綾乃と遊び、市駒や徳次と穏やかに過ごしているのは、喜久雄には似合わない。


 俊介にとっては、どんなに世間の注目を浴びようが、万菊との舞台が大成功に終わろうが、そんなものは一時の人気でしかない。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第271回2017/10/5 

その1
 女子大生、牛乳だけの朝食、庭でゴルフスイング、「ママ」、ようやく昭和を代表するような家族が登場した。そうそう、昭和の私たちは、国立大学の学歴を最高の価値と感じていた。
 同じ時代で、同じ歌舞伎役者の家なのに、喜久雄と彰子は、違う世界に住んでいる。
 不遇で、しかも美しい歌舞伎役者に、若い彰子が惹かれるのは恋愛の常道と思う。

その2(予想)
 竹野が企画したテレビのドキュメンタリーは、高い視聴率をたたき出し、俊介は引っ張りだこになる。おかげで、万菊との舞台も、劇評など関係なく人気が沸騰する。

その3(予想)
 テレビの俊介復活劇のせいで、喜久雄はますます悪役扱いされる。さらに、彰子とのことが、写真誌にすっぱ抜かれる。そのことは、千五郎の怒りをかい、喜久雄は江戸歌舞伎の舞台から完全に干される。

 作者は、読者をこういう風な予測へ誘っているようだ。
 ということは、‥‥

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第270回2017/10/4

 春江、市駒、洋子、喜久雄が好きになった人だ。誰を一番好きか、は野暮な疑問だ。結婚相手、遊び相手、という分け方も喜久雄には通用しない。
 この作品の世界では、本命、二股、不倫相手などという昨今の男女関係の区分けが意味をもたない。好きか嫌いか、共に生活できるかできないか、それの方が重要とされている。
 春江のことは長い間好きだったが、一緒に生活したことはほとんどない。市駒との仲が深まってからも、春江の所へは行っていたろうが、明らかに熱は冷めたようだった。
 市駒に家を持たせてからは、頻繁に通っていたようだが、洋子との仲が深まってからは、市駒への熱も冷めたようだった。
 春江に去られ、洋子に去られ、喜久雄は市駒と娘との暮らしで気力を回復した。

 春江がいなければ、長崎でも大阪でも喜久雄はもっと荒んだ気持ちになっていただろう。洋子がいなければ、人気が陰ってきた時の東京での生活に馴染めなかったろう。市駒と娘がいなければ、『太陽のカラヴァッジョ』の撮影で受けた精神的な痛手から立ち直れなかったろう。

 さて、彰子という人とは、どんな関係に。

 マツは、喜久雄の実母千代子を懸命に世話した。あらすじ 第二章
 幸子は、俊介が姿を隠しているのに、喜久雄の子を生む市駒の世話をした。あらすじ 第七章
  
 マツは、恨まれてもしかたのない千代子に尽くした。幸子は、憎しみを感じている喜久雄のために市駒の世話をして、喜久雄の子が無事に生まれるように尽力した。
 この二人に重なるものを感じる。
 
 前回の感想では、幸子の直感が当たっていると思ったが、別の考えも出て来る。
 松野なる爺さんは、春江だけにかかわる人物かもしれない。

 俊介と春江の家出の間のことは、水上温泉のホテルで働いていたことと、旅回りの一座にいたことしか出て来ていない。
 それ以上に、小説最初からの登場人物である春江の素性が、今まで全く語られていない。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第269回2017/10/3

 春江は動揺を隠す。
 幸子は嫌な予感を持つ。
 お勢は「なんや、しょぼくれたお爺(じい)ちゃんですわ」と囁く。
 俊介が戻ってくれて、跡取りの一豊ができ、新宗教から抜け出した。東京で、春江とともに、丹波屋の女将として動き出し、俊介復帰の舞台も評判の内に幕を開けたかに見えた。そんな幸子に暗雲が立ち込めたように感じる。

「せや、二人が家出しとったあいだに知り合(お)うた人やわ」

 この幸子の直感は当たっているに違いない。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第268回2017/10/2

 いったい、俊介は、発見されたことをどう受け取っているのか。
 竹野に感謝している様子はない。かと言って、竹野が画策している復活劇を嫌がっている様子もない。だいたい、竹野が企てていることを知ってはいないのかもしれない。
 万菊が現れた時は、驚いただろうし、万菊には感謝しているだろう。そして、万菊に稽古をつけてもらったことを喜んでいるだろう。だが、万菊との共演で自分の願いが叶ったとは思っていないと感じる。

 歌舞伎の舞台に、願ってもないほどの抜擢で復帰した俊介に、喜びと意欲が感じられない。それどころか、今の俊介に次のような疑いを持ってしまう。
 舞台に復帰する前に、喜久雄に話すべき何かがあるのに、それを話せないでいるのではないか。

 俊介が春江に言っていた客は、竹野ではなかったようだ。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第267回2017/10/1

 同じ藤川教授が、喜久雄と俊介の『娘道成寺』を観た時には、次のように言っていた。
「(略)一瞬、自分が江戸時代にいるのかと錯覚したくらいですよ」(109回)109回感想
 さらに、喜久雄と俊介の南座出演が決まった時には、NHKの全国放送で次のように言った。
「スタア誕生の瞬間というものを目の当たりにしたければ、今月の南座にいらっしゃればよいのですよ。」(120回)120回感想

 それに比べると、今回の劇評は、ずいぶんと違う。
(略)あの万菊に食らいついて舞台に立っている半弥が、次世代を担う歌舞伎役者たちの一群から、頭一つ抜けたことは間違いがない。(266回)

 
俊介が言っている『こんなもん褒められたうちに入るかいな』の言葉通りだと思う。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第266回2017/9/30

 風向きが変わって来たように感じる。竹野の思惑通りには進んでいない。
 この劇評では、半弥よりも万菊の方が高く評価されている。それに、竹野や万菊は、俊介復活の演目としては、『加賀見山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)』の方を重視していたのではないかと思う。
 やはり、喜久雄が『娘道成寺』を観ただけで劇場を去ったのには何かわけがありそうだ。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第265回2017/9/29

 三代目半二郎の反応は、見事だった。

「そんなわけないだろ!」
 そう叫び返そうとした自分の声が、たった今、駐車場に反響した記者の声と、まるで一緒なのでございます。
 俺は、役者だ。こんなところであんな声出してたまるか。


①出そうとした声を、出す前に聞いている。
②興奮しているにもかかわらず、その声の調子を分析している。
③声に出すことを自制している。

 三代目さん、こういう時は、何もせずにいつも通りにしているのも芸の内ですよ。特に、記者連中にはね。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第264回2017/9/28

 なぜ、喜久雄は、幕が降りるまで観続けなかったのか?
 俊介への「劇場を揺るがすほどの拍手」を聞くのが、悔しかったのか?
 地下駐車場でこれから起こる事が、今後を動かすのか?

 そして、今回だけでは分からない疑問が湧く。俊介の今の舞台は、俊介が言っていた「本物の役者」の舞台なのか?

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第263回2017/9/27

 見世物小屋での俊介は、身震いするような冷気を、舞台から客席へ吹かせていた。竹野は、その演技に、まるで見ている自分までその臭ってくるような恨みに呑(の)み込まれてしまいそうになった。(230回)

 万菊は、俊介に向かって、「(略)‥‥あなた、歌舞伎が憎くて憎くて仕方ないんでしょ」と言った。(240回)

そして紛れもなくこの凄(すさ)まじい緊張感の源泉は俊介であり、とてつもなく危険な何かが、そこで踊っているのでございます。

 
恨みと憎しみがそこにはあると思う。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第262回2017/9/26 
 
 「白虎」を襲名したいという二代目半二郎の願いのために、幸子は、我が子俊介のことを諦めた。
 役者への修行に励む喜久雄のために、春江は、故郷と母を捨てた。本物の役者になりたいと御曹司の立場を捨てた俊介のために、春江は、喜久雄を捨てた。

 その幸子と春江は、俊介と一豊のために、喜久雄と綾乃を切り捨てるしかないのだろうか?

この番組の最後、佐渡アナウンサーは次のような質問をいたします。


「この十年、何を考えていたか?」と。


 に応えて俊介は、「なんで自分は丹波屋の跡取りに生まれたのかと、そればかり考えていた」と答えたのでございます。

 
「跡取り」という言葉は、平成の今は価値のあるものに感じられない。
 昭和の戦後、庶民の生活で大きく変化したものに、「跡取り」がある。遺産相続の法律が庶民の間にも定着して、親の遺したものを長子が跡取りすることが不可能になった。
 だが、歌舞伎役者の世界や、一部の職種では、それが今も残っている。「跡取り」という制度と考え方を過去に戻すことは不可能だが、動産や不動産だけが「跡取り」の対象ではないことを考えさせられる。

 80、90歳まで歌舞伎ができたらいいなあと思います。
 「人間国宝」と、宝みたいな言い方ですが、先人から教わってきたことを次の代に伝え、育てなさいということですね。

(朝日新聞記事「語る 人生の贈り物 歌舞伎俳優 中村 吉右衛門」2017/7/28)※中村吉右衛門は、2011年に歌舞伎立ち役で人間国宝に認定。

 竹野は、ある程度、俊介と喜久雄の今までの事実を知っているはずだ。だが、それには目をつぶり、喜久雄を、丹波屋を乗っ取った悪役に、俊介を、身を隠して芸を磨いていた丹波屋の正統の後継者に仕立てようとしている。
 では、竹野は悪意の興行師、テレビマンか?そんなことはない。俊介の化け猫の芸を発見したのは、竹野だ。たとえ、化け猫の芸で、歌舞伎の舞台に俊介が復帰しても、竹野の策略がなければ、俊介は歌舞伎愛好家の中で、注目されるだけで終わったであろう。
 それどこか、竹野の悪意の筋書きは、喜久雄にも世間の注目を集めることになると思う。
 竹野は、俊介と喜久雄の救い主になる可能性を感じる。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第261回2017/9/25

 喜久雄は、俊介を追い出そうなどと思ったことはなかった。白虎が倒れてからは、必死で丹波屋を支えようとした。病に伏す白虎を実の父のように感じた。白虎が亡くなってからは、いい役もつかなくなり辛い日々を送りながらも、白虎の借金を返すために、どんな仕事でも引き受けた。また、綾乃のことを世間に隠して、独身のような顔をしたことはなかった。
 俊介は、自分が家を出てからの丹波屋の状態を知りながらも、姿を隠したままだった。父白虎が倒れても見舞いもしなかった。白虎が死んでも、葬儀にも現れなかった。
 春江は、喜久雄に自分の気持ちを全く告げずに、俊介と共に行動した。
 これが、事実だ。(※小説の中の)
 テレビの視聴者は、春江の過去と、春江と喜久雄の過去の事実を知ったら、どう思ったろうか。
 世間のゴシップは、事実などどうでもよいのだ。これは、小説の中だけでなく、現実の社会でも当てはまると思う。

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