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朝日新聞連載小説『国宝』『ディス・イズ・ザ・ディ』の毎回ごとの感想と、読んだ本の感想を更新しています。

カテゴリ: 新聞連載小説 吉田修一作 国宝 の感想

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第211回2017/8/5

 弁天からの電話を切りますと、すぐにでも喜久雄に知らせたい思いを抑え、徳次はしばし自分なりに考えるのでございます。

 これは、今まで出てきたことのない徳次だ。徳次が「自分なりに考える」なんて、驚いた。
 さあ、どんなことを考えるのか、予想のつけようがない。
 語り手は、当時の歌舞伎人気の凋落ぶりを語っている。また、喜久雄には、今では映画界から声もかからぬようになっていることも語っている。
 そうなると、歌舞伎役者としての人気を借りて、映画出演するのではだめだということだろう。また、生え抜きの映画俳優のような演技をするのもだめだろう。
 当時の歌舞伎界の実情を反映するような役回り、歌舞伎役者としては異例の生い立ちを持つ喜久雄の現実を反映するような役回り、そのようなことを、徳次は考えるのかもしれない。
 でも、そのようなことを考えて、清田誠監督に提案するのは、あまりに徳次らしくない。
 さあ、どういう展開になるか、さっぱり分からなくなってきた。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第210回2017/8/4

 喜久雄の新たな舞台は、テレビだと予想していたら、そこに一枚弁天が加わるという仕掛けがあった。
 実におもしろい。

 持ち芸をとことんテレビ向きにして人気者となった西洋花菱は、それでもまだ芸人の伝統につながるものを持っている。それが、弁天になると、持ち芸を中断し、芸人としてのネタを捨てることで、テレビの人気者となった。
 こういう時代の風潮を、実際に見聞きしているだけに、なるほどと思わせられる。
 
 弁天と徳次が北海道から逃げ帰ったエピソードが、ここでまた頭をもたげた。ということは、清田誠という映画監督が重要な人物になるのか?
 このまま、いけば喜久雄が再び映画出演ということになりそうだ。だが、電話を受けたのが徳次だというところがひっかかる。ここにも何か仕掛けがあるのか?
 先が楽しみ。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第209回2017/8/3

 一人の役者だけの芸の上達が名優になる道ではないところが、歌舞伎の特徴なのだろう。歌舞伎に留まらず、古典芸能全般にいえることだと思う。伝統を守ることができなければ、歌舞伎役者としては認められない。しかし、伝統を継承するだけでもいけない。常にそういうせめぎ合いの中で、伝統を継承しつつ新しいものを創り上げる役者が名優と評されるのであろう。
 喜久雄は、いつの間にかそこに気づいていた。俊介が「山」で、自分は「一本の木」だと考えられるところが、すごいと思う。
 悔しい思い辛い経験を散々することによって、主人公が物事の本質をつかんでいく様子が鮮やかに描かれていると感じる。
 
 弁天は一端の芸人になっているようだ。弁天は、営業を紹介するだけでなく、もっと他のことをも、喜久雄と徳次にもたらすのかもしれない。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第208回2017/8/2

 痛快だ。
 
「(略)鶴若にしろ、さっきの社長にしろ、我慢できんのやったら、俺がいつでもどついたるし、殺したるわ。(略)」

 
徳次のこの言葉が、実行されても何かが解決することはない。だが、徳次のこの思いは、なんとも痛快だ。
 徳次が口先だけで言っているのではないことは、今までの徳次の人生を振り返れば分かることだ。
 喜久雄については、彼の人柄の根っこにあるものが次々に描かれている。
 徳次については、まだまだその人間性が見えてきていない。徳次が一貫してもっているのは、喜久雄を守ろうとする心根だ。そのほかは、何があるのだろう?
 徳次が本当にやりたいことは、何なのか?徳次には好きな女はいないのか?



 208回を一度読んだときは気づかなかった。読み返してみて、次の文は、今後重要になると思った。

 歪(ゆが)んだ丹波屋の家紋が、なぜか白虎の顔に重なり、なぜか俊介の顔に重なり、思わず立ち上がった喜久雄、(略)


それでも、万菊や吾妻千五郎など、江戸歌舞伎の名優たちと同じ舞台に立てると思えば、どんな端役でも誰よりもその役を研究し、稽古に励んできたのでございます。

 
喜久雄は、初舞台を踏む前、役者になれるかなれないかも分からぬうちから、白虎(当時の半二郎)の厳しい稽古に耐えてきた。耐えるどころか、何かに憑かれたように、一人で稽古を続けることもあった。
 花井東一郎になる前の稽古と、不遇な今の研究と稽古が、三代目半二郎としての芸に磨きをかけていると、感じる。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第207回2017/8/1

 不平不満を漏らすことはないが、喧嘩をすることは辞さない。喜久雄は、竹野とつかみ合いになって以来喧嘩をしていない。
 
 今のところ、「伽羅枕」に結びつくような要素を発見できない。

 いずれにしても、早く先を読みたい。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第206回2017/7/31

 主人公のこういう状況は、どうやって転換されるのか?
①喜久雄に歌舞伎以外の活躍の場がもたらされる。
 ・テレビドラマへの出演で人気が高まる。・地方のイベントでの踊りと歌がテレビで取り上げられる。
②鶴若以外の歌舞伎の名優が救いの手を差し伸べる。
 ・万菊の相手役に指名される。・今まで登場していない歌舞伎の大御所から声がかかる。
③喜久雄の周囲が激変する。
 ・春江が現れる。・春江と俊介が現れる。・辻村が画策して、興行会社を動かす。

 主人公の今の状況を変える人物は誰か?
①テレビ会社の社長になっている梅木や、芸人の裏事情に詳しそうな弁天とその師匠、それに三友にいるはずの竹野など、テレビに関連しそうな人物。
②俊介、春江、幸子など、喜久雄の運命を変え得る人物。
③万菊やまだ登場していない歌舞伎の大御所。
④娘の綾乃、マツ、春江の母、徳次、喜久雄にゆかりのある人物が何かのきっかけになる。

 私に思いつくのは、これぐらいしかない。しかし、全く思いもつかない人物と出来事が物語を動かすのであろう。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第205回2017/7/30 

 そうか、これだけの扱いをされても、喜久雄は不平不満を漏らさない。が、自分の惨めな姿は徳次にさえ見せたくないと思うのが、喜久雄なのだ。
 その喜久雄の本心を知りながら、言葉には出さない徳次だった。主従関係というより親友の関係だと感じる。久しぶりに、「友情」という言葉を連想した。

 
 この喜久雄のファンや贔屓(ひいき)に対する照れからの無愛想、いくら白虎や幸子から咎(とが)められても、生来のものでどうにもならないのでございます。(185回)

 語り手がこう語っていただけに、喜久雄の辛さが伝わってくる。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第204回2017/7/29 

 昔話だが、私が三十歳台だった頃は、職場全員参加の宴会が年に何回もあった。ホテルが会場の時もあった。そのホテルで芸人や歌手の舞台を観たこともあった。芸を観るのではなく、宴会を盛り上げるためだった。そういう舞台は、盛り上がりの割には、どこか貧しく悲しい雰囲気が漂っていた。
 
 喜久雄は、無名の役者ではなく、一時は時代の寵児ともてはやされた人気役者だ。しかも、まだ若い。それだけに、徳次の怒りがよく分かる。
 この状況でも、喜久雄は不平不満を漏らさないのか?

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第203回2017/7/28 

 気が合って、昔よく一緒に遊んだ友達がリストラされて、故郷に帰ることになった。私ならその友人の引っ越しを手伝いに行くだろうか。閑であれば、手伝いに行くかもしれない。だが、自分の仕事の合間を見つけてまで、手伝いには行かないだろう。ましてや、その友人の母親からの挨拶などはなるべく早く切り上げてくれと思うだろう。

 梅木社長は、鶴若に問われて、喜久雄の魅力を次のように言っていた。

「(略)この喜久雄が不平不満を漏らすところをまだ一度も見たことがない。(略)」(182回)

 散々に鶴若から苛められながら、万菊から何か盗もうと劇場に通う喜久雄が、上の言葉と重なる。

 私は、不平不満をしょっちゅう漏らす。また、不平不満を漏らさない人に会ったことがないような気がする。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第202回2017/7/27

 喜久雄のことを一番慕っているのは、徳次だ。その徳次は、誰に頼ることもできずに生き抜いていて、権五郎の組の若頭に拾われた。喜久雄の最初の女性春江の生い立ちは、詳しく語られていないが、中学生の頃から世の中の荒波の中を生きてきている。弁天も、物心着いた頃から自分の力だけで生きている。
 荒風は、人気に溺れて転落した相撲取りかと思っていたが、そうではなかった。
 徳次や春江と出会った時は、喜久雄は親分の坊ちゃんだった。荒風と会った時の喜久雄は、人気爆発の時期は過ぎていたが、まだまだ世間の注目を浴びていた頃だった。
 つまり、喜久雄は、喜久雄自身がどんな境遇にある時でも、「苛(いじ)め抜かれてきた」人に、慕われる資質をもっている。
 これは、芸に対する執着心と共に喜久雄がもつ稀有な資質だと思う。

 荒風の母の喜久雄に感謝する気持ちが、伝わってくる。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第201回2017/7/26

 第九章が始まった。章を追うごとにおもしろくなってきた。特に、第八章は息をもつかせぬ展開だった。第八章の題「風狂無頼」の意味を、次のようにとらえた。
 後ろ盾など頼みにするところがない状況。その天涯孤独な中で、世間の常識を超越した振る舞いをする。その生き方は世の中の規範を無視しているようでありながら、人の生き方として筋の通ったものをもっていること。
 これは、第八章に垣間見ることができる主人公喜久雄の姿だと思う。
 第九章の「伽羅枕」は、言葉の意味と、尾崎紅葉の小説の題名の両方が考えられる。八章の最後に注目するなら、尾崎紅葉の『伽羅枕』にも関連があるかもしれない。

 この回も、喜久雄の生き方がはっきりと表出されている。荒風と喜久雄が遊んでいたのは、二人ともがまだ人気のある頃だった。喜久雄はともかくとして、荒風は完全に相撲の世界では敗残者となっている。体を壊し、相撲に関連する職にもつけない元相撲取りに義理堅く付き合う人は、喜久雄以外にはいないであろう。
 喜久雄は、希望を失って故郷へ戻るしかない男に精一杯のはなむけをしている。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第200回2017/7/27

 いつも崖っぷちにに立つ喜久雄だが、ここにきて今までと違うと思う。天涯孤独、何も失うもののない喜久雄だった。それが、今は、失うものがないどころか、とんでもない大荷物を背負っている。
 三代目花井半二郎という大看板、憶を超す借金、そして綾乃というなんともかわいい娘、もちろん幸子とマツは喜久雄だけが頼りに違いない。お勢さんや源さんも喜久雄が不甲斐なければ散り散りになるしかないであろう。
 誰かのために働くことをしたことのない喜久雄は、どんな行動を取るのか。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第199回2017/7/24 

 劇評家から絶賛されて、人気が高まった時があった。代役を見事にこなして、人気が沸騰した時もあった。その時よりも、今の方が喜久雄にはふさわしい。
 喜久雄には、何の貯えもなく、収入の当てもない。ただ、恩を受けた白虎のために、幸子に悲しい思いをさせないために、憶という借金を背負った喜久雄が生き生きしてみえる。喜久雄よりも、もっと金の入る目途のない徳次でさえ、いかにも徳次らしくみえる。

「俺ら、どんだけ旦那に世話になった思うてんねん。世話になった人に借金があったんやったら、それは俺らの借金やで」


 
同じ紙面の「語る 人生の贈りもの 歌舞伎俳優 中村 吉右衛門」で、吉右衛門主演のテレビドラマ「鬼平犯科帳」のことが書かれている。これは、どこかで『国宝』の喜久雄にも繋がるのか?

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第198回2017/7/723

 前回に続き、またまた先読みが外れた。前回の感想に、「金銭感覚が全くないと描かれている喜久雄には、この問題は解決できないであろう。」と書いた。今回を読み、逆の感想を持った。
 金の苦労を痛いほどしてきた徳次の心配に共感できない。無謀な喜久雄の借金の相続に頼もしさを感じる。
 なぜか、語り手も喜久雄の借金申し込みを誇らしげに語っているように読める。
 喜久雄は、純粋で、恩義を感じた人のためならなんでもする人だと強く感じる。

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