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新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 の感想と、読んだ本の感想を更新しています。

カテゴリ: 新聞連載小説 吉田修一作 国宝 の感想

 たとえ、喜久雄が正気を失い、今までのようには舞台に立てないとしても、心配はないと思う。
 喜久雄の社会的な面は、三友社長の竹野と中国の白河公社社長が万事遺漏なく処理するであろう。そして、身の回りのことは彰子、春江、綾乃が包み込むであろう。一豊、市駒、喜重も、喜久雄がどんな状態になっても大切な人として接すると思う。

 ヤクザの子として生まれ、歌舞伎の魅力にのみ込まれ、歌舞伎役者としての上達以外のことをすべて棄ててきた主人公のこれからは、寂しいものにならないと思う。孤独なものにもならないと思う。
 日本一の歌舞伎役者になることだけを追いもとめていた喜久雄だったが、それだけではない何かかが、喜久雄に描かれていると感じるから。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第499回2018/5/28

 綾乃のことを見知っている観客は、少なくないはずだ。その綾乃がなりふり構わず、一人で拍手をした。
 春江は、俊介のライバルをまだ生まれぬ孫に見せた。
 綾乃も春江も、今が、喜久雄の最後の舞台だと直感したのだと思う。

 
 
 劇場の隅で、喜久雄の背中に、私も拍手する。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第498回2018/5/27

 綾乃が、胸をつかれたようにハッとした。

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第十九章 錦鯉 12 462 挿絵

 最も印象に残っている挿絵の一枚だ。リュックを背負う綾乃、そして、外見は子煩悩の父に見える喜久雄だ。その喜久雄が、祈ったことは、次のことだった。

「『歌舞伎を上手うならして下さい』て頼んだわ。『日本一の歌舞伎役者にして下さい』て。『その代わり、他のもんはなんもいりませんから』て」(第十九章 錦鯉 12 462)

 今は、横綱の妻となり、娘の母となった綾乃だが、このときの父、三代目半二郎の言葉を忘れることはできないと思う。たとえ、その父を許していても。


 喜久雄は、このときの悪魔との取引通りになるのではないかと思う。

 本人はまだ知らぬが、人間国宝に認定され、万座の観客を魅了している喜久雄は、何を見、何を感じているのか?
 役者として、完璧な今の自分に満足しているようには感じられないのだが‥‥
 
 
 共演の京之助が、喜久雄の様子について、一豊に次のように尋ねた。

「いや、誰か別人とやってるみたいだったからさ。でもあれだ、いつもそばにいるおまえが気づいてないんなら、まあ、いいのかな……」
(略)
 首を傾げながらも、取り立てて深刻になるわけでもなく、その場はそれで終わったのでありますが、京之助の引っかかりは取れぬまま、この一豊には、誰か別人とやっているみたいだと咄嗟に言ったのですが、もう少し詳しく申しますと、一緒に舞台に立っているのは紛れもない喜久雄なのですが、同じ舞台に立ちながら、自分が見ている風景と、横で喜久雄が見ている風景がまるで違うのがはっきりと伝わってくるのでございます。(第十九章 錦鯉 2 452)


 深夜一時を回った町を、喜久雄は一人だけで、雪景色に魅せられて歩き回っていた。

(略)喜久雄がふいに立ち止まったのはそのときで、恐ろしいほど澄み切ったその瞳で、徐に周囲を見渡しますと、
「きれいや‥‥」
 そう呟き、夜空からの粉雪を抱き止めるように、その腕を空へ伸ばしたのでございます。(第十九章 錦鯉 19 469)



 喜久雄の楽屋を久しぶりに訪れた竹野が、喜久雄の異変に気づいた。竹野が、喜久雄にいつも付いている一豊に、「いつからああなんだ?」と聞く。一豊は、「ときどきああなるんです」と答えた。
 
 その答えに重なるのは、たった今見てきた喜久雄の、まるでガラス玉のような目。
「ありゃ、正気の人間の目じゃねえよ‥‥。なあ、いつから‥‥」
「『藤娘』です‥‥舞台に客が上がってきた‥‥、あのあとからです」(第十九章 錦鯉 24 474)


 さらに、一豊は、言った。

「‥‥戻ってこなくていいんです。今の小父さんは、ずっと歌舞伎の舞台に立っているんです。桜や雪の舞う美しい世界にずっといるんです。それは小父さんの望んでいたことなんです。だから小父さん‥‥、今、幸せなんです」(第十九章 錦鯉 25 475)

 喜久雄の異変は、六年前からのことで、一豊はもちろん、彰子や春江、周囲の役者たちも知っていたことだった。


 今、「阿古屋」を演ずる喜久雄が目にしているのも、舞台上の美しい世界だけなのであろう。

 琴でも三味線でも疑いは晴れず、いよいよ命をかけて胡弓(こきゅう)を奏でる喜久雄の目にも、吉野の桜、龍田の紅葉が燃えるように映っているのでございましょう。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第497回2018/5/26

 舞台上の喜久雄の至高の芸については、第十九章 錦鯉から本章にかけて綿密に描かれている。
 では、役者としての三代目半二郎ではない喜久雄はどうなのであろうか?万菊は、役者ではなくなった時には今までの全ての人間関係を捨てるかのようにして、身軽になれたと感じた。喜久雄もそうなるのであろうか?

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第496回2018/5/25

 命と引き換えに舞台に上る俊介を支え続けた。俊介亡き後は、一豊を支え、幸子の面倒を見、丹波屋を一人で切り盛りしてきた。一豊が交通事故の加害者となってからは、その荷は重さを増した。
 寂しさに浸り、悲しみを吐き出す暇はなかったはずだ。
 そして、今は、恥も外聞も脱ぎ捨てて、テレビのお笑い番組に出ている。これも、一豊に世間の注目を集めるためであろう。
 その春江が、涙を流す。それもこれも、喜久雄の芸ゆえと感じる。

 いくら呼んでも、いくら待っても、戻ってはくれないという歌詞に、自分が誰を思い重ねていたのか考えようとして、思わず慌て、それでも「いや、大丈夫」と春江が浮かべましたその顔は、(略)

 ここに春江の心の奥底を感じる。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第495回2018/5/24

 徳次に、優れた才能はなかった。徳次は、大部屋役者もこなすし、源さんのような付き人もやれた。だが、喜久雄のような芸事の才能も、弁天のような芸人としての才能もなかった。
 中国に渡った徳次が成功したのも、先見の明と商売の才能があったからではなさそうだ。運が味方し、時代の波に乗れた結果であった。
 徳次には、人生をかけてやり遂げようとするものがない。喜久雄や俊介のように本物の役者になるという信念や、春江のように世間を見返してやるという根性もない。食うことと遊ぶことと金儲けが好きなだけだと感じる。
 徳次には、自分がない、自我だとかアイデンティティーなど無縁だろう。

 徳次は、己を犠牲にして他人に尽くすことができる。だが、何か深い考えがあってそうしているのではない。ただ、自分が好きな人のためなら、どんな辛いことでもできるというだけなのだろう。そして、それは、特別な場合だけでなく、暮らしの中で、自然に周囲の人々にわかるようなものなのだろう。

 徳次のように生きる人は、今や皆無だ。徳次と逆の生き方は、私も含めて今の日本にはいくらでもいる。つまり、安定を求め、損得を考え、将来に備え、なによりも自己を大切にするような生き方だ。

 徳次に憧れる。空想だけでも、徳次のようになりたい。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第494回2018/5/23

 「お嬢へ天狗より」(489回)のときから、徳次にあえると思った。

 期待が裏切られるかもしれない恐さに、徳次が帰って来たに違いないと言い出せなかった。
 
 もう、大丈夫だ。
 徳次が帰ってきた。
 しかも、帰ってきたわけも、まだ歌舞伎座に到着していないわけも、すっきりとわかった。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第493回2018/5/22

 喜久雄の初舞台を描いた場面は、印象に残っている。

 初舞台のお役がついたと申しましても、栄御前について出る腰元の一人、御前のお供で手持ち灯籠を持って花道から舞台へ出ますと、当然台詞もなく、十五分ほど下手に座り、そのまま舞台をはけていくという役所でございます。
 ただ鳥屋から花道へ出た瞬間のなんとも言えぬ雰囲気だけははっきりと覚えておりまして、まさに雲の上を歩くが如く、何か無理にでもそこに言葉を当てはめるならば、幸福とでもいうのでありましょうか。
 しかし、そのあとの記憶が一切ございません。
(略)決められた通りに舞台をはけ、決められた通りの廊下を渡って大部屋の楽屋へ戻り、鏡台に向かったところで、やっと我に返ったようなものでございました。
 するとそこで、さっきまで自分がいた舞台の床の感触や、はっきりと一人一人が見えていた見物の顔、そして何よりも舞台に漂っていた香の甘い香りが蘇りまして、喜久雄は思わずそばにあったつい立の裏へ身を隠そうとしたのでございます。と言いますのも、まるで夢のなかで精を放ってしまったような、人目を憚るほどの恍惚感がそのときになってとつぜん襲ってきたのでございます。(第五章 スタア誕生 3 103回)

 舞台の魔力に魅せられた人は、プロ、アマを問わず少なくないと思う。しかし、これほどの強く深い感覚は、喜久雄ならではものだと感じさせられた。
 そして、この感覚を描写する文章は、うまい。
 喜久雄が舞台上で、今、繰り広げている芸の極致の描き方(493回)は、さらにうまい。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第492回2018/5/21 

 矢口建設の若社長夫妻は、歌舞伎を深く理解し、歌舞伎役者を支える本物のご贔屓筋として描かれていた。(352回感想)その夫妻が、紹介したい人と言うからには相当の人物であろう。

 竹野は、舞台の歓声とどよめきを聞いたが、まだ会場に入っていない。

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