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朝日新聞連載小説『国宝』『ディス・イズ・ザ・ディ』の毎回ごとの感想と、読んだ本の感想を更新しています。

カテゴリ: 国宝 あらすじ 朝日新聞連載小説

あらすじ 201~225回 第九章 伽羅枕

 白虎の借金を背負った喜久雄は、スケジュールに空きさえあれば、地方営業に向かわされている。地方営業では、土地の金持ちにも付き合わねばならないし、宴席のクラブで、踊れとまで言われる。
 一方、肝心の江戸歌舞伎の舞台では、後見人の鶴若からますます邪険にされ、腰元のような端役をやることが、まるで当たり前のようになっている。
 そんな八方塞がりの喜久雄を見かねていた徳次の所へ弁天から、喜久雄の映画出演の話が舞い込む。その映画『太陽のカラヴァッジョ』は、今や世界的な巨匠となっている清田誠監督の作品である。徳次は、以前に清田監督の映画で主役を演じたことがあった。
 この時期、喜久雄の周辺では、喜久雄が東京に出て来たばかりのころを共に楽しく過ごした荒風の引退と赤城洋子の自殺未遂事件が起こっていた。この二つの出来事もあり、喜久雄は徳次の勧めに応じて気の乗らない映画出演を決心する。
 その役は、歌舞伎の女形だった兵士というものだった。はじめは、歌舞伎役者を使うのを渋っていた清田監督だったが、ふと奸策をめぐらすような表情をして、喜久雄の起用を決めた。

 撮影ロケ地は、沖縄の小島という過酷な現場だった。撮影で、喜久雄の演技は清田監督から徹底的に否定される。何度やり直しても、喜久雄には「カット」がかけられ、挙句の果てに、喜久雄のせいで、撮影中止となる日が続く。清田監督の集中攻撃を受ける喜久雄に、誰もが同情する。しかし、それが連日続くと、喜久雄の失敗のせいで撮影が進まないと、キャストやスタッフも思い込むようになる。喜久雄も、自分の演技がどうしようもないのかもしれないと思い、監督に謝ることさえできなくなる。
 撮影現場全体が、喜久雄のせいでうまくいかないのだという雰囲気に支配される。そんな状況に追いつめられたある夜、喜久雄は何人もの男たちに部屋に踏み込まれ、暴行を受ける。喜久雄は、自分が大した役者じゃないから、こんな目に遭うのだと、抵抗さえしない。
 撮影が終わり、東京に戻った喜久雄は、連夜クラブで飲み潰れている。そんな喜久雄のもとに、『太陽のカラヴァッジョ』が、カンヌ映画祭で最高賞を受賞し、喜久雄の演技も高く評価されたとの知らせが入る。しかし、喜久雄はその知らせに「アホくさ」と応じただけだった。
 受賞のお祭り騒ぎに一切関わらないだけでなく、喜久雄はそれ以来体調を崩し、都内の病院へ入院してしまった。

あらすじ 第176~200回 第八章 風狂無頼

 四代目花井白虎と三代目花井半二郎の同時襲名披露の初日、口上の席で吐血した白虎は、救急車で運ばれ緊急入院する。診断は、糖尿病と膵臓癌の併発による余命半年というものだった。襲名披露公演は、全て中止となり、興行会社社長の梅木も責任を取らされ、左遷となる。
 喜久雄は、襲名はしたものの白虎と梅木の二人の後ろ盾を失う。白虎の復帰が望めなくなり、喜久雄は人気の立女形(たておやま)姉川鶴若(あねかわつるわか)の下に預けられる。鶴若は、喜久雄を冷遇し、喜久雄の役を奪った上に地方巡業に回してしまう。

 地方巡業に回る前に、喜久雄は白虎を病院へ見舞う。病室では、白虎が『仮名手本忠臣蔵』の台詞を呟いている。喜久雄に気づいた白虎は、両手を差し出して喜久雄を迎え入れる。病室で二人きりになった喜久雄は、白虎に「なんや実の親父といるみたいですわ。」と言う。その言葉を聞いた白虎は、喜久雄に何かを伝えようとするが、それは言葉にならない。ただ、「おまえに一つだけ言うときたいのはな、どんなことがあっても、おまえは芸で勝負するんや。どんなに悔しい思いをしても芸で勝負や。ほんまもんの芸は刀や鉄砲より強いねん。おまえはおまえの芸で、いつか仇(かたき)とったるんや、ええか?約束できるか?」と言う。
 大阪の家に戻った喜久雄は、幸子が新宗教を信じ込んでいる様子を目の当たりにする。
 喜久雄が大阪の家にいる時に、病院から白虎危篤の知らせが入る。喜久雄は、白虎が幸子と自分を待っていると信じて、幸子を伴い病院へ駆けつける。だが、病室から聞こえてくる死を間近にした白虎の声は、我が子俊介を呼ぶ叫びだった。それを聞いた喜久雄の口からは、「すんまへん‥‥」という言葉がこぼれた。
 昭和50年7月18日、白虎の葬儀告別式には歌舞伎界、日本舞踊界、故人を偲ぶ約千人が参列した。

 地方巡業の舞台を勤めている喜久雄の所に三友の経理担当者が来る。経理担当者は、白虎の自宅は借金のかたに三友が譲り受けることになっており、今年中には自宅を明け渡してくれ、と言う。
 白虎は、自宅を抵当に入れ、巡業に回ったり、人気歌舞伎役者として世間をがっかりさせないために金を使っていたのだった。
 喜久雄は、幸子をがっかりさせないためにも、その借金を自分が相続できないかと持ち掛ける。三友本社にも思惑があって、喜久雄のその頼みは受け入れられる。
 喜久雄は、自分に何の貯えもないのに、億を超える借金を背負うことになった。

 喜久雄の娘、綾乃は幼稚園の桃組で一番強い子に成長している。

 大阪中座で半二郎の代役を勤めた喜久雄が評判となり、その千穐楽に俊介が出奔してから三年が経っている。
 
 俊介がいなくなった当座は、幸子と半二郎は、次のように言っていた。俊介が出奔したのは喜久雄のせいではないとわかっているが、まともにアンタの顔を観られない、と幸子は言う。半二郎は、辛抱できなくて逃げたのは俊介で、喜久雄は悪くない、と喜久雄を庇う。

 中座で大評判となった喜久雄を軸として、大阪道頓堀座で歌舞伎興行をするが、その人気は最初の内だけであった。人気も下火になった喜久雄は、数本の映画にも出演し、そこそこの評価をもらうが、映画の方も大当たりとはならない。喜久雄は、歌舞伎役者としてなんとも中途半端な時期を過ごしている。そんな中途半端は時期の喜久雄が、騒動を二つ起こしている。
 その一つは、半二郎が貯めておいてくれたマツからの仕送りの金で、スポーツカーを買ってしまったことだった。これは、母のマツを大阪見物に連れていくための車を用意したいという気持ちからだったが、金の使い方を間違えているとしか言いようがなかった。
 もう一つは、喜久雄に子供(娘、綾乃、この時二歳になっていた)ができたことだった。喜久雄の子を宿したのは、舞子から芸妓へ上がった市駒だった。市駒が子を生んだのは、喜久雄が代役で大評判となった時期で、結婚はせずに、子の認知だけ済ませてしまった。これは、市駒が結婚に興味を示さず、周囲が喜久雄の人気を考えて勧めたことだった。 中途半端な時期を送っている喜久雄だが、赤城洋子という映画、テレビの売れっ子女優とは、彼女のマンションに泊まる仲になっていた。

 この頃、半二郎と東一郎(喜久雄)の周囲では、半二郎が白虎に、東一郎が三代目半二郎に同時襲名するという話題が出るようになっていた。それは、実子の俊介が出奔してから三年が過ぎてしまったことと、半二郎が緑内障を患い、視力がかなり落ちていることが理由だった。
 喜久雄が手を引かなければ、舞台裏を一人で歩くことさえできなくなっている半二郎は、ある日の舞台袖で、喜久雄に、自分は花井白虎を襲名するから、お前は三代目花井半二郎を継げ、と言う。
 幸子は、俊介のことを考えて、喜久雄に襲名を辞退してくれと頼む。恩のある幸子を苦しめることはできないと喜久雄は、襲名辞退を幸子に約束する。それを、聞いた幸子は、逆に覚悟を決めて、同時襲名へ向けて家族一丸となって取り組む。襲名披露激励会が盛大に行われ、その後、評判の高まる中で、襲名披露興行初日の舞台が幕を開ける。
 舞台上で、大喝采の中、喜久雄の口上が終わる。
 続けての口上の花井白虎が間をおいて、なぜか無念の形相で面を上げた。その口からは大量の鮮血が吐かれた。

第126~150回 第六章 曽根崎の森の道行 あらすじ

 楽な儲け話があると北海道へ向かった徳次と弁天だったが、その話は全く違っていて、二人は辛い労働をさせられる。騙されたことに気づいた二人は、出発から一月後には北海道の飯場を逃げ出す。無一文の二人だったが、見ず知らずの人たちの恩義に頼りながらどうにか大阪まで辿り着く。
 大阪に戻った徳次は、北海道でもらい損ねた給金を手に入れられないかと大阪の福祉センターに陳情に行く。二人が福祉センターに乗り込んだときに、ちょうどそこではドキュメンタリー映画を撮影していた。たまたま陳情に来た徳次と弁天の話と姿は、このドキュメンタリー映画のフィルムに収められる。この清田監督のドキュメンタリー映画は、テレビでも放映され、反響を呼ぶ。それが、縁となって、清田監督は、徳次を次のリアリズム映画の主役に抜擢する。徳次主演の映画は、全国七カ所で上映される。その後は、徳次に映画俳優の仕事が来ることはなかったが、このことが半二郎の耳に入り、半二郎の計らいで、徳次は、大部屋俳優の一人として雇い入れてもらった。

 大阪で、また一緒になった喜久雄と徳次のところに、半二郎が交通事故に遭ったという知らせが飛び込む。幸い半二郎の怪我は命にかかわるようなものではない。だが、複雑骨折をしているので、次の舞台である大阪中座の『曽根崎心中』には、半二郎の代役を立てなければならない。妻の幸子は、当然息子の俊介が代役に指名されると思っていたが、半二郎は喜久雄を自分の代役に指名する。幸子も俊介も驚き落胆する。俊介は一度は激しく怒るが、父の決めたことと諦め、喜久雄に協力すると言う。
 舞台稽古までの三日三晩寝る間も惜しんで、半二郎の病室で、喜久雄の一心不乱の稽古が続いた。
 実子の俊介がいるのに部屋子の喜久雄が半二郎の代役になったことは、スキャンダルとなり世間の注目を浴びる。
 舞台稽古では、座頭の生田庄左衛門が、代役の花井東一郎(喜久雄)にどんな評価を下すかと、俊介はじめ関係者一同がかたずをのんで見守っている。稽古は、何事もなく進み、休憩に入る。そのときに、庄左衛門が、喜久雄に「初役のわりには、よう入ってるわ。」と声をかける。これは、まぎれもないお褒めの言葉だった。これを聞いた関係者は、口を合わせて喜久雄の芸を褒める。それは、実子の俊介よりは、喜久雄の方が芸が上という評判となってたちまちに広まる。
 中座での公演は、マスコミも大注目し、古い世襲制度を破った素人の子花井東一郎は、時代の寵児と祭り上げられる。この公演中は、俊介は喜久雄との『二人道成寺』を必死に舞い、喜久雄はその後、『曽根崎心中』の「お初」を無我夢中で演じた。
 客は大入り、劇評は絶賛で、中座での公演が終わる。その翌朝、俊介は、置手紙を残して半次郎の邸から消える。
 それ以来、俊介の出奔から数年が流れた。俊介だけが消えたのではなく、春江も姿を消していた。

101~125回 第五章 スター誕生 あらすじ

 第四章から四年近くの歳月が流れ、第五章 スター誕生は、昭和45(1970)年4月の時点になっている。

 喜久雄は、花井東一郎を襲名し、京都南座で端役ながら初舞台(昭和42年喜久雄17歳)を踏んでいた。
 しかし、当時は関西歌舞伎低迷期で、初舞台を踏んだからと言って、部屋子(へやご)の喜久雄はもちろん、御曹司の俊介でさえ、役などつかない状況だった。そこで、半二郎が始めたのが地方巡業である。その地方巡業で、喜久雄と俊介の二人は、「二人道成寺」の主役を演じている。
 その地方巡業の楽屋に、興行会社の社長梅木が突然現れる。梅木は、劇評家の藤川先生が、喜久雄と俊介の「二人道成寺」を激賞しているので、社長自ら観に来たと言う。そして、梅木社長は、二人を褒め、今度の京都南座に二人の「道成寺」をかけると言う。これは、普通では考えられないような大抜擢だった。
 梅木社長に竹野という歌舞伎を悪く言う新入社員が、付いて来ていた。

 地方巡業が終わり、休みをもらった喜久雄は、長崎に久しぶりに帰省する。母を驚かせようと、連絡をせずに帰った喜久雄が目にしたものは実家の変わりようだった。実家だった屋敷は人手に渡り、マツは元の屋敷で女中として働いていた。驚いた喜久雄は、マツを大阪に連れて行こうとする。しかし、マツは、喜久雄が人気役者になる日を女中をしながら待つのが幸せだと言い、元の屋敷で女中を続けると言い張る。
 半二郎は、喜久雄の実家の変化もマツの現状も知っていて、マツからの必死の思いの仕送りの金を貯めていてくれた。その仕送りの貯金二百万近い通帳を、帰省から戻った喜久雄に渡した。

 京都南座での喜久雄と俊介の「二人道成寺」は、予想以上の大成功となる。南座の「二人道成寺」は人気爆発で、まさに世紀のスター誕生劇となった。喜久雄と俊介は、たちまち毎日取材に応じる人気者になった。
 
 そんな人気者の二人の側に、北海道へ行ったはずの徳次が大部屋の一員として稽古に励んでいる。

第四章 大阪二段目
76~87回 
 舞台は、長崎から1965(昭和40)年の大阪へ移った。喜久雄と徳次が、大阪の歌舞伎役者花井半二郎の下で暮らすようになり、ほぼ一年が過ぎた。
 その大阪へ、喜久雄を追うように春江も出て来ていた。春江は、喜久雄と徳次が準備した安アパートに住み、大阪のスナックで働き始める。
 喜久雄は、半二郎の一人息子俊介と一緒に、厳しい役者の稽古に打ち込んでいる。喜久雄と俊介は、同じ高校に通い、すっかり仲良くなっている。
 半二郎は、俊介と喜久雄に女形としての才能を見出していた。そこで、喜久雄を「部屋子(へやご)」にしたいと、長崎の母マツへ手紙を出した。手紙を受け取り、喜久雄に会いに大阪に来たマツは、役者修行に打ち込んでいる息子を見て喜ぶ。しかし、マツが借金までして大阪へ仕送りをしていることは、喜久雄には話せなかった。
※「部屋子」になれば、歌舞伎役者の幹部俳優「名題(なだい)」と同等の扱いを受ける。

88~100回
 喜久雄と俊介は、半二郎の計らいで黒子として京都南座に呼ばれる。
 喜久雄は、京都で初めてのお座敷遊びをし、舞妓の市駒と会う。市駒は、お座敷がはねた後、初対面の喜久雄に、「喜久雄さんに芸妓人生を賭ける。人気役者になって、二号さんか三号さんを予約や。」と言う。
 喜久雄と俊介は、京都南座に出演していた名女形の小野川万菊の楽屋を訪れる。喜久雄は、万菊から「きれいなお顔だこと。でも、役者になるんだったら、その顔は邪魔。」と言われる。
 万菊の『隅田川』の演技に、喜久雄は、強烈な体験を受ける。
 徳次は、春江をきっかけに知り合った弁天とつるんで遊ぶようになっている。徳次の鑑別所脱走の件は、愛甲会の辻村が裏で動いたので、収容期間短縮になっていた。
 春江は、長崎からの出稼ぎの人をお客とするスナックで働き、その店を繁盛させている。
 徳次は、弁天がどこかから持ち込んできた儲け話に乗って、北海道へ行くと決め、喜久雄に別れを告げる。喜久雄は、誰かに騙されていると徳次を止めるが、徳次の決心は変わらない。
 
物語の年譜(第一章~第四章)
昭和39(1964)年
元旦。 喜久雄と徳次は、新年会の余興で「積恋雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)」を踊る。その踊りを花井半二郎が観る。立花権五郎は、新年会に襲われ、裏切り者の辻村に拳銃で撃たれて三日後に死ぬ。
昭和40(1965)年 東京オリンピック開催
1月末。喜久雄は、学校に講話に来た宮地を襲うが、失敗する。
その後、喜久雄と徳次は、大阪の花井半二郎の家へ。更に、数か月後、春江が大阪へ。半二郎は、息子俊介と喜久雄に女形の才能を見出し、二人に厳しい稽古を付ける。
昭和41年(1966)年
喜久雄は、半二郎に連れられて京都へ。京都で、六代目小野川万菊の演目を観る。また、舞妓市駒と出会う。
徳次は、儲け話があるからと、喜久雄に別れを告げ、弁天と共に北海道へ行く。

51~60回
 ドスに手応えはあった。が、それと同時に体育教師尾崎の体当たりを食らって、喜久雄は弾き飛ばされた。宮地の傷は浅いものだった。
 傷の手当てに、医務室へ行った宮地の大親分に、尾崎が次のように、話を持ち掛けた。
 「今回の刃傷沙汰を公けにすると、失敗はしたが敵討ちになり、宮地の親分は敵役になってしまう。それを避けるために、喜久雄の今朝の刃傷沙汰を許して、逆に宮地の大親分の美談にする方が得策ではないか。」 
 尾崎のこの話に乗った宮地は、朝礼の場に戻ると、他の教師に押さえられている喜久雄に、
「親の敵を取ろうする行為はえらいが、敵は宮地ではなく、日本に蔓延っている暴力だ」
と諭した。その後、宮地は何事もなかったように壇上で、演説の続きを始めた。これで、喜久雄の敵討ちは警察沙汰にならずに収まった。しかし、宮地は「立花の息子は、すぐに長崎から追い払うこと」という条件を出していた。
 今や立花組を仕切っている辻村の意見で、喜久雄は大阪の役者花井半二郎の所に行かされることになった。
 慌ただしく一人で長崎を立った喜久雄の列車に、徳次が乗り込んでいた。徳次は、喜久雄のお供で大阪に行くと言う。
 真冬の早朝、二人は大阪駅のホームに降り立った。
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61~75回
 大阪駅では、役者半二郎の家の番頭源吉が、喜久雄と徳次を出迎えた。半二郎の屋敷で、喜久雄と徳次は、先ず、女将(半二郎の後妻)の幸子に挨拶をする。そこで、半二郎の一人息子で、喜久雄と同い年の俊介に会う。
 女将の幸子に勧められて、喜久雄と徳次は、俊介の義太夫の稽古を見に行く。義太夫の師匠は、初対面の喜久雄にも俊介と一緒の稽古をつけはじめる。
 義太夫の稽古には理由があった。事前に、半二郎は、義太夫の師匠に、「今度、男の子を預かることになったが、その子を俊介のライバルにしたい。また、その子には役者の資質があると思う。そこで、俊介と一緒にその子にも稽古をつけていただきたい」と頼んでいたのだった。

26~37回
 立花組組長権五郎の腹に二発の銃弾を撃ったのは、権五郎が味方と思っていた愛甲会の辻村だった。辻村が権五郎を撃った現場には、役者の花井半二郎以外には誰もいなかった。
 親分亡き後の立花組を仕切ったのが、この辻村であった。殴り込みをかけた宮地組は、事件を起こしたせいで、組の解散に追い込まれた。
 辻村の計らいで、父権五郎が死んだ後も、喜久雄と徳次は以前のように遊び暮らしていた。しかし、ある日、映画館で中学生のワルたちに歯向かわれた。中学生のワル、ニッキの譲治たちは、立花組が落ち目であり、喜久雄が親の敵も取れないことをバカにして、隙をついて徳次を殴り倒した。映画館で、乱闘する喜久雄と徳次たちと、ニッキの譲治たち、そこへ警官が現れる。喜久雄を警官に捕まらせまいと、徳次は自分を犠牲にして喜久雄をその場から逃がした。捕まった徳次は、鑑別所送りになった。  
 大晦日の夜、春江の家でくすぶっている喜久雄の所へ、鑑別所を脱走してきた徳次が現れた。徳次は、親分の敵を討とうと喜久雄を説得する。しかし、喜久雄はその話にはのらない。

38~50回 
 銃弾を二発くらったが、権五郎は病院で三日生き続けて死んだ。死に際の父権五郎に対して、喜久雄は、父親が何かに負けて人生を終えることが悔しくて涙を流した。
 権五郎が死んで、喜久雄は天涯孤独になった。というのは、喜久雄の実母千代子は彼が二歳のころに病死していたのだ。今の母マツは、後妻だった。結核だった千代子が生きているうちから、マツは権五郎と夫婦同然であった。しかし、マツは病気の千代子の面倒もよくみる女であった。
 権五郎が死んでから立花組はすっかり勢いを失って、愛甲会の辻村が好き勝手に振舞っていた。権五郎の一回忌も粗末なもので、マツも喜久雄も惨めな思いを味わわされた。
 そんな変化にも関わらず、喜久雄と春江の仲は続き、二人して刺青を入れた。喜久雄は、春江のポン引きのような生活を送っていた。夜の街に立つ春江と喜久雄の所にやってきたのは、喜久雄の学校の教師尾崎だった。尾崎は喜久雄を殴り、「お前は、この先、一生、こげん暮らしば続けていくつもりか!」と怒鳴りつけた。
 尾崎に殴られた翌日、喜久雄は久し振りに学校へ向かった。登校の途中、逃亡生活を続けていた徳次が現れた。徳次は、大阪へ行くと言う。喜久雄は、自分も徳次と一緒に大阪に行くと嘘をついた。徳次と別れた喜久雄は110番へ、徳次の立ち回り先を電話した。
 学校に着いた喜久雄は、朝礼の列に加わる。彼は、ドスを隠し持っていた。朝礼では、慈善家として宮地恒三が演説を行うことになっていた。この慈善家こそ、喜久雄が親の敵と思っている宮地だった。宮地の大親分が壇上で、マイクのまえに立とうとする。喜久雄は、ドスを握りしめ、大親分めがけて一気に駆け出す。

1~14回
 長崎の名門料亭花丸では、立花組の新年会が盛大に開かれた。立花組組長の権五郎は、今や長崎の仁侠世界で実質的に一番の親分である。
 招かれた親分衆の中に、見かけぬ顔があった。それは、愛甲会の若頭が連れて来た歌舞伎役者で映画俳優の二代目花井半二郎であった。役者が顔を出したせいもあり、新年会はますます賑やかなものとなった。
 宴もたけなわ、乱痴気騒ぎとなった舞台に突如幕が引かれた。その幕が開くと、そこには歌舞伎舞踊の名場面が繰り広げられる。そして、遊女墨染の舞がなんとも幻想的で、会場の皆を釘付けにする。その踊り手は、芸妓かと思われたが、なんと権五郎の一人息子だというではないか。

15~25回
 遊女役は権五郎の一人息子、十四歳の喜久雄で、相手役は立花組の若い衆の徳次、十六歳だった。この二人に踊りの稽古をさせ、念入りな舞台を準備したのは、権五郎の女房、喜久雄の母のマツだった。
 徳次は、華僑の父と芸者の間に生まれた子で、母は既に亡くなっており、父は日本にはいない。チンピラとして街で生きていた徳次は立花組の組員に拾われるようにして、組の部屋住みになった。徳次は、年が近いせいもあり、喜久雄とは気が合った。
 喜久雄は、十四ながら、悪さも覚え、情婦といえそうな女(春江)と関係を持っていた。
 
 舞台が大成功の裡に終わり、喜久雄と徳次が料亭の風呂場で化粧を流している時、新年会の座敷が騒がしくなる。その騒ぎは、立花組権五郎に恨みを抱いていた宮地組の殴り込みだった。新年会ですっかりよい気分になっていた権五郎たちは、完全に裏をかかれ、宮地組のドスや日本刀に素手で防戦するしかなかった。
 いったん、二階に逃れた権五郎の前に姿を現したのは、愛甲会の辻村と役者の半二郎だった。愛甲会は、もとより立花組の味方だった。
 素手で立ち向かうしか術のなかった権五郎と立花組の子分たちだが、権五郎の大暴れと、敵の武器を奪ったことで、勢いを取り戻した。敵の武器を奪った立花組の子分たちは、階下に宮地組を追って行く。二階には、権五郎と、辻村と半二郎だけになる。その時、味方と信じて疑わなかった辻村が拳銃を出し、権五郎の腹に二発撃ち込んだ。

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