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『波の音が消えるまで』 沢木耕太郎 新潮社 

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 何かを追い求める生き物が、人間だ。そんなことを思わせる小説だ。
  だからといって、主人公の思想が難しく書かれているのではない。むしろ、主人公は単純で、行動の人物だ。その面では、エンタテイメントの要素が強い。 
 主人公は、作品の最初から最後まで、バカラをやり続ける。そして、遂にバカラの必勝法を手に入れる。この必勝法は、リアルだ。バカラの勝負の場面もリアルだ。
 書かれている必勝法はリアルだが、私はそれを試してみようとは思わなかった。その勝ち方を手に入れるには、その域に達するまでがあまりに遠すぎるのだ。
 
 かえって、バカラに、溺れる過程の惨めさがよく理解できた。賭博を止められなくなる心理は、理解しているようでできていなかった。
 楽をして儲けようというだけではない。損を取り戻そうするだけではない。一度味わった勝ちを再び味わおうというだけでもない。勝負のおもしろさにのめり込むだけでもない。
 人は、賭博だけでなく、自棄(やけ)になる時がある。誰にでも、いろいろな場面で自暴自棄になることがある。ネクタイの絞め方などというどうでもよいことの場合もあり、会社を潰すような影響の大きい場合もある。とにかく負の循環に入り込むと、自棄になり、信じられないような行動を平気でとる。
 バカラで負け、文無しになり、他人のコインを掠め取り、また賭ける。どうして止められないのか、と思っていたが、この主人公の気持ちになると、そういうことを平気でするようになるのも人間だということに共感できる。

朝日新聞記事「生き方」より「在り方」 沢木耕太郎さん「春に散る」に加筆し書籍化2017/1/26

 この記事に紹介されている沢木耕太郎の言葉が、気になっていた。
 『国宝』に、「彫師の辰」のことが出て来て、再び思い出した。『春に散る』と『国宝』が描いている昭和生まれの男のことが気になるのだと思う。
 この記事から引用する。

 心臓を病み、40年ぶりに帰国すると、かつて同じ寮で過ごした3人のボクサーを訪ね歩く。彼らが家族もなく孤立していることを知り、再び共に暮らすことを思いつくが、仲間の1人から「昔をなぞっても仕方がない」と言われてしまう。

 
「仲間の1人」は、「星」だったと思う。「星」は、サーフィンに夢中になり、サーフィンだけに生きようとして挫折した。その後、ボクシングに目覚め、「広岡」と同じボクシングジムに入った。また、主人公の「広岡」がボクサーになるきっかけを与えたのが「星」だった。チャンピオンにはなれなかった「星」は、結婚して、女房と小料理屋を開いた。しかし、それは安定したものではなかったらしいし、女房に先立たれてしまった。
 仲間の他の2人も、老いて孤立した生活を送っていた。
 この元ボクサー3人のことが、連載が終わっても心に残り続けている。
 「広岡」は、経済的には成功をしている。仲間の3人は、成功者には程遠い老後を迎えている。これは、3人が元ボクサーだからか。違うと思う。
 中小企業の元会社員でも、自営業の元経営者でも、この3人との共通項は多いと感じる。
 また、元公務員や大企業の元会社員であり、家族と共に暮らしていても、精神的にはこの3人に近い男は多い。 
 その意味で、『春に散る』は現実社会を反映している。
 今新聞紙上を賑している退職したとたんに有名私大の大学教授になることの方が、庶民にとってはよっぽど夢物語だ。
 「広岡」にとっても、仲間の3人にとっても、『春に散る』のその後は、それぞれがより年を取ることだから、老人の「生き方」はより難しくなるだろう。
  
 『春に散る』の終末を思い出してみると、いくつもの疑問が湧く。
 4人の共同生活は今後どうなるか。「真拳ジム」は今後どうなるか。「翔吾」と「佳菜子」はアメリカに渡るのか。
 
 「広岡」は、そんな事柄に煩わされていない。考えようとさえしない。
 求められたことに応じているだけだ。「翔吾」にも「佳菜子」にも、何かを教えたり伝えようとはしなかった。仲間の3人を援助したという気持ちもなかった。求められたことに、自分ができる範囲で応えていた。
 そこがなんともいえない魅力だった。
 「翔吾」も「佳菜子」も去って行くだろう。仲間の3人も去って行くかもしれない。
 それとは違って、「令子」に頼まれて、「真拳ジム」でボクシングを教えるかもしれない。自分のボクシングを見失っている「中西」が「広岡」にトレナーになってほしいと頼むかもしれない。
 その時にどうするか、「広岡」は、その時に自分ができることを、自分がいちばん正しいと思うことをするのであろう。

 記事は、沢木耕太郎の講演会の言葉を引用している。

「一瞬一瞬をどう在るか。自分の在り方を意識することが、生き方より大事なのではないか」
 
 
 「
彫師の辰」は、「広岡」の精神的な父であった「真田会長」と同世代になるだろう。二人は、徴収され、復員し、敗戦後の時代を生きた。
 「広岡」と「喜久雄」は、ほぼ同世代であろう。いずれも、昭和時代を生きる。
 小説の時代背景をも考えながら、『春に散る』を思い出し、『国宝』を読み進めている。

朝日新聞朝刊2017/1/8我々はどこから来てどこへ向かうのかVol.8情報社会

1. 記事の冒頭部分と終末の一部分を引用して、要約する。
 
 ネットがつながった世界を、いまだかつてないほど膨大な量の情報が飛び交っている。いつの時代も人は、増え続ける情報と格闘してきた。現代の情報の海が大きくなろうとも、泳ぎ方はいくらでもあるだろう。

2. この記事から新しく知ったことが二つあった。
①ネット上で「虚構新聞」を発行している人が、ウソの情報を真に受ける人が増えたと話していること。
②活版印刷の登場で印刷物が爆発的に増えた時に、今のネットへの批判と似た意見が多かったこと。

3. 記事に不満を感じたこと
 過去に遡った視点は興味深かったし、文章全体も分かりやすかった。が、不満も残った。不満なことは、取材にある。この記事のための直接取材が少ないと感じた。
 記者の結論の根拠となる取材源は、おおざっぱに見て十二点ある。
二点は、記者の体験と直接取材。
二点は、外部の調査の一部分。
三点は、外国の学者識者の著書から引用と孫引き。
四点は、国内の学者識者の論文や発表等からの引用。
一点は、国内の作家の話からの引用。
 著書からの引用か、発表等からの引用かは、明示されていないので私の推測だ。しかし、海外の学者の意見の紹介と引用は、著書の一部分を取り上げていることは分かる。この取り上げ方が妥当なものであるかどうかは、読者には判断がつかない。
 少なくとも、国内の学者専門家の意見と研究成果は直接取材をした内容を読みたかった。
 また、同紙の連載小説・金原ひとみ作・『クラウドガール』がこの記事と合致するテーマを取り上げているのに、触れられていないのは、小説といえども同紙掲載のものは相互に紹介はしないという内規でもあるのだろうか。

『波の音が消えるまで』 沢木耕太郎 新潮社 第五章 あらすじ

《あらすじ》
 劉さんからバカラの目の読み方を聞き、航平は賭け方に自信が持てるようになる。航平はますますバカラにのめり込み、勝ちも増えていく。
 マカオのホテルに泊まり続ける航平と、売春婦の李蘭は何度かホテルの中で会ううちに
、互いを意識するようになる。突然航平の部屋に来た李蘭は、彼の部屋で眠ってしまう。その後、度々彼女は航平の部屋に来るようになる。
 そんな李蘭が、自分の身の上を次のようなに語る。彼女は、留学生として日本に渡り、日本人に見染められて結婚した。しかし、夫は大好きなマンガ『女囚竜子』のヒロインに、李蘭を見立てただけで、おまけに酒乱だった。李蘭は、夫の暴力から逃げて、マカオまで来て、今の境遇に到った。
 ある夜、バカラ賭博で航平は、劉さんと一緒になる。大勝ちをした劉さんが倒れそうになったので、ホテルの自分の部屋に連れて来て、休ませる。その劉さんを看病したのは、その夜も航平の部屋に来た李蘭だ。
 李蘭と劉さんは、中国語で話し、二人は互いに共通するものを見出したらしい。
 劉さんは、日本人だが、タイで華僑と共に暮らし、マカオに来たことを李蘭に語る。

朝日新聞記事 シェアハウスの注意点は 2016/2/24
同新聞連載小説 春に散る

 この記事で、ハウスの管理運営をする会社の代表の方の指摘が紹介されている。

共用スペースで不機嫌な雰囲気をまき散らしたり、部屋でしゃべるスマホの声がうるさかったり、ほかの人がどう思うか、周囲への気遣いが大切です。

 こういう指摘をするということは、それができていない人が多いのだろう。
 私は、シェアハウスに行ったことも住んだこともない。だが、家族だけで住んでいる自宅でも、近隣でも、スーパーや病院などでも、この「周囲への気遣い」の不足を感じることが多い。
 なぜ、こうなったのか。
 『春に散る』の中では、共同生活であいさつすることを徹底的に教え込まれる場面がある。
 このような共同生活の仕方を学んだ経験はあるが、それを、若い人へ伝えたことはあまりない。なんとなくではあるが、あいさつや周囲への遠慮を強要するのは、ダサいと感じていたからだと思う。
 それではダメだと思う。
 ルールは、現代社会でも守ろうとする人が多い。もっと、マナーを大切にしないと気持ちのいい暮らしはできない。
 そのためには、道徳的な精神論ではなくて、あいさつのように行動化の練習をしなければならない。
 あいさつをしない、スマホの声が大きい、これは若い人ではなくて、私と同年齢のしかも男性に多いと感じるだけにそう思う。

 なんとなくではあるが、最近の新聞には新しいことが書かれていないと思った。私が読む新聞は、1種類だけだし、読む記事もそのほんの一部だ。だから印象も意見も一面的なものではあるが。
 
 だいたいが、新聞は新しいできごとすなわちニュースを伝えることを主な目的としているのだが、ニュースとはそもそもなんだろうかと考えてしまう。

 「ニュース」という外来語は、日本語で言い換えづらく、「ニュース」としか言いようがない。
 興味を持って読むニュースとは、自分が興味を持っている事柄で、その事実の新しい側面が伝えられている場合だろう。

 安保関連法案が国会を通るまでは、新聞は活気づき、新しい事実が毎日のように繰り返し報道されている印象を持った。だが、その後はそういう活気のようなものを感じない。
 この法案が可決される以前と以後では、確実に変化した事柄があるに違いないと思うのだが、それは伝わってこない。

 パリでの惨劇がどういう本質や側面を持っているのかを知りたいと思うのだが、今のところ何か新しい側面を新聞によって知り得たという経験をもつことができない。
 これは、新聞に限ったことではない。
 テレビの報道からも、ニュースと呼ぶにふさわしい内容を、最近は受け取った印象がない。今の日本で、マスコミが、ニュースを伝え、ニュースについて独自の解説をすることは、至難の業なのだろう。
 
 新聞の連載小説で、夏目漱石の『それから』と『門』を読んでいるが、この二つの小説の方に、「ニュース」といってもよい事実と物の見方を発見するのだが、それは私の読み方が間違っているのだろうか。 

朝日新聞朝刊 耕論 戦後400年!  おおらかな性 明治に変質  下川耿史 2015/8/29
それから 夏目漱石

 『それから』の感想で、「不倫」について書いたら、8/29に次のような論が載っていた。

1882年に妻の不倫を禁じる姦通罪が施行されました。

 『それから』が発表されたのは、1909年だ。作者は、姦通罪のことを十分に意識していたのだろう。また、近代的な法によって庶民の風俗が変化したことを分かっていたであろう。

 
国家統治の核となる近代家族を作ろうとした明治政府にとって、自由な性は秩序を壊すものだった。いつの間にか日本でも性は、いかがわしいもの、隠すべきものとみなされるようになった。それはせいぜいこの150年足らずの話なんです。

 夏目漱石は、現代の研究者が分析した上のような社会と道徳の変化を、その時代にありながら洞察していたと感じる。漱石にとっては、作られた「近代家族」像は受け入れがたいものであったと思う。

 この筆者の論がどの程度当を得ているのか、私には分からない。しかし、現代の様子を考えるためにもこのような視点はおもしろいと思った。
 

『母 -オモニ-』姜尚中

 読み終えた。
 「オモニ」が自らの一生を話してくれた。それを私が聴き終えたと感じている。作者を介して文章を読んだのであるが、語ってくれたことを直接聴いたような感覚が残っている。
 人の一生を知るということの価値を知らされた。しかも、その人は自分の家族だ。知るだけでなく、共に暮らした人の一生だった。
 この作品の特徴は、作者の母が中心になっているが、それだけにとどまらずに叔父と、さらに共に暮らしていた人の一生も丁寧に描かれているところだ。
 
 子どもに何を教育するかは、永遠の課題だと思う。でも、ここに一つの回答がある。
 子どもにとって役に立つのは、共に生きた人の一生を知らしめることだと思う。
 どうやって一人前になるのか、どうやって食っていくのか、どうやって困難を乗り越えるのか、どうやって老いていくのか、どのように死と向き合うのか、それが全て詰まっているのが人の一生だ。
 しかも、自己に最も近い人の一生だ。そして、その人が肉親だけでないところに一段の良さがあると思った。

 「在日」という存在と、戦争の時代ということがあるが、それにしても「オモニ」の語りには独特の存在感がある。それは、識字のことが影響しているかもしれない。「オモニ」にとっての表現手段は、音声言語だけである。それだけに生き生きと自分を表現できているのではないかと思う。
 幼児の頃だけでなく、親子兄弟のコミュニケーションは会話が根本だと意識させられる。

 文字の読み書きができなかった。故国を出て来るしかなかった。差別される苦しみを味わった。それらを跳ね返して生き抜いた「オモニ」の力強い声が耳に残っているような気がしている。 

『母 -オモニ-』姜尚中

 「オモニ」の生涯に、生物の要素を満たした人間の一生を感じた。
 この世に生を受け、独り立ちしてからは食べるために必死に働き、子を生み育て、やがて死を迎える。これは全ての生物に共通する営みの要素だ。
 「オモニ」の生涯にははっきりとその足跡が残っている。
 一方では、生物としての要素と共に、人間に固有の要素も明確だ。
 民族と国家を意識し、伝統的な信仰と慣習を支えとし、家族を中心にした共同体の維持に全力を傾ける。これは、人間固有の要素だ。

 二つの国家と戦争の時代を抜きにしては語ることのできない生涯だが、それ以上に生命力の強さと生命の誕生から死までの完結の見事さを感じた。

 私を含め、現代日本ではこういう力強さで生涯を終える人が少なくなったと思う。

 それは、何を意味しているのだろうか。

『母 -オモニ-』姜尚中

澱みのない、張りのある大きな声は、日の当たる「成功者」としてのテソンの勢いを表しているようだった

 「姜尚中」の叔父「テソン」が登場した。
 頭の良い人で、太平洋戦争前は日本軍の憲兵となった。当時の憲兵という地位は、朝鮮から日本に来た人々の中の出世頭だった。「テソン」は、憲兵になることが経済力と権力を手に入れる近道だと気づき、その地位を手に入れた。 
 当時は日本人にとっても、憲兵になるのは難関だったはずだが、それを見事に乗り越えたのだ。そして、目論見通り、金と力を手に入れた。
 しかし、戦争の終結で、その全てを失い、命からがら故国に戻った。
 今度は、故国である朝鮮で、弁護士となり、大成功した。 
 目まぐるしく社会情勢が変化する中で、次の時代に最も脚光を浴びる職業を選び、その職に就くことができる能力と才覚を持った人物だった。
 「テソン」の兄であり、「姜尚中」の父である人物の実直さと比べると、兄弟とは思えないほどの「成功者」だった。
 その「テソン」の成功の果てが次のようなものだった。

父が亡くなる1年ほど前から交通事故で小さな病院に入院していたテソンは、父の死後数ヶ月の後、誰からも看取られず、淋しくその生涯を閉じたのである。

 経済力と権力で多くの人から羨まれることと、その人の人格が尊敬されることとは一致しない。
 そして、社会的な地位は、その肩書きを失えば、たちまち霧散する。

 金と地位の空しさを、分かっているつもりでいるが、世の中に出れば、職種や地位が気になり、競争心を持ってしまう。
 仕事を辞めてからも、あの人の方が年金が高い、あの人の方が若く見える、あの人の方が介護してくれる家族が多い、などなど、気にするのを止めるのは難しい。

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