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新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 の感想と、読んだ本の感想を更新しています。

カテゴリ: 本の感想

『オモニ』 姜尚中
 食えなくて、困ったことはありません。お金がなくて困ったことはありますが、食う物もなくなったという経験をしたことはありません。私の周囲でも、めったにそういう実際を目にしません。

 この小説では、食うことに困り続けた生活が描かれています。食うために働き続けた家族が描かれています。そして、それは小説の中ではあるが、過去の現実を伝えていると思います。
 事実に基づいた記録とされる資料は、必ず分析と解釈が必要なのだと最近痛感します。
 「小説」は、どこまでいっても、「小説」ですが、そこから事実を読み取ることはできると考えるようになりました。『オモニ』には、私が生まれた前後の我が国の姿が描かれています。

 正岡子規の『病床六尺』を読み終えました。
 この作品は、明治35年(1902)に、新聞に連載されていました。今連載を読み続けている夏目漱石の『それから』は、明治42年(1909)に連載されたものが、106年ぶりに再連載されています。3月に読んだ浅田次郎の『赤猫異聞』は、明治時代に活躍している人たちが、江戸から明治にかけての混乱期にあった事件を回想するという設定になっていました。
 たまたまですが、江戸時代から明治時代にかけてが、作品の背景にあるものを読んでいることになりました。
 明治維新というと、いろいろな制度が大変換したととらえていました。しかし、その当時の日本に生きている人々は入れ替わったわけではないのです。多くの人々が、この二つの時代をまたいで生きていたことを改めて思いました。

 姜尚中の『オモニ』を読み始めました。これは、太平洋戦争の前後が小説の背景になっています。第二次世界大戦の前後も、日本は大転換をしたと受け止めています。私たちは、戦後の生まれなので、戦前を生きた人たちに育てられてきたのです。しかし、私自身は太平洋戦争を経験した人たちが、戦中の話や戦後の混乱期について語るのを聞いたことはありますが、戦前のことはあまり聞いたことがありません。
 人々が、そして、一人の人がそれもごく普通の生活を送っていた人が、戦前の生き方を、戦後どう変化させたのかに興味を感じます。そして、変化させずに残り続けたものもきっとあるのだろうとも思います。

『病床六尺』 正岡子規
 『病床六尺』が、新聞連載の百回目を迎えたことが書かれていました。私は、この文章が新聞に連載されていたことを知らずに読んでいました。
「病床六尺」が百に満ちた。一日一つとすれば百日過ぎたわけで、百日の日月は極めて短いものに相違ないが、それが余にとつては十年も過ぎたような感じがするのである。
 子規は、日記として『病床六尺』を書いていたと思っていましたが、違っていました。しかし、新聞連載であったということを知って、今までいろいろ感じていたことに納得がいきました。
 読者を常に意識した文章であったと思います。それは、読者に迎合するという意味合いでは全くありません。むしろ、時代が違うとはいえ、反論や批判が出そうなことも堂々と主張されていると感じます。読者がいて、締め切りがあるということは、健康な書き手にとっても、負担になることでしょう。
 子規にとっては、執筆を続けることが辛い日も多くあったことが伝わってきます。しかし、それよりも、表現することに生き甲斐を見いだしていたのだと思います。正岡子規の表現への意欲と喜びを感じます。

朝日新聞2015/5/19 インタビュー記事 『インタビュー 歴史の巨大な曲がり角』 見田宗介
 見田宗介は、インタビューに次のように答えています。
近代社会は「未来の成長のために現在の生を手段化する」という生き方を人々に強いてきました。成長至上主義から脱して初めて、人は「現在」という時間がいかに充実し、輝きに満ちているかを実感できるのではないか

 私が知っている人たちは年を取り、生まれてくる子どもの数は少ないのがよく分かります。近所では、お年寄りのひとり暮らしが増え、それに伴って空き家が増えています。空き家が壊されても新しい家が建たずに、売り地の看板が立ったままになっている所もあります。
 郊外にドライブに出ると、農作地が減り、かつては水田だったところが草に覆われています。町に入り、その町の駅前通りが廃墟のような様子になっているのを見ても驚かなくなりました。
 村おこし、町おこしの活動は、しばらく経つと、その活動の担い手であった若かった人たちの後継者が不足し始めているようです。
 私の近所や、地域では、昭和30年代から40年代頃のような成長発展は、もうないと感じます。
 発展のない地域で、増えることのない収入で、若い人のいない中で、生きていくしかありません。
 それには、新しくて広い住居を持つ、より高価なものをたくさん食べる、大きくて性能の高い車と便利で新しい物をたくさん持つ、日本の経済をよくすることを考えて消費し貯蓄もする、などを目指さないことです。最近は、エコとか、断捨離とかいって、新しい物を買うことに後ろめたさを感じるようになってきています。でも、もし機会があれば、より便利な住居に住む、よりおいしいものを食べる、こういうことに慣れ親しんでいます。その感覚を完全に捨て去ることはできないかもしれません。
 でも、現実はそういう成長発展はもう終わったことを見せてくれています。
 家が古くなれば、古くなったなりの住み方を工夫する。空き地が増えれば、その空き地の草木を眺めて楽しむ。少数者となった若い人たちのことを、考えて暮らす。今や人口の割合の中で多数者となった私には、そのような生活の仕方があると感じました。

朝日新聞2015/5/19 インタビュー記事 『インタビュー 歴史の巨大な曲がり角』 見田宗介
 平成生まれの人と話す機会は多くありませんが、その機会は増えてきました。この記事で言われているように、平成生まれの人たちと、その少し前に生まれた我々の子ども世代「団塊ジュニア」との間に、はっきりとした違いを感じることはありません。違いが感じられないというよりは、今の20、30歳代の人たちに、「世代の特徴」とか「価値観の違い」という考え方が通用しません。
 職業や仕事について、若い人と話すことがあります。実際には50年間ほど離れているわけですが、その間に戦争や政治体制の大変化はありませんでした。しかし、我々「団塊の世代」が経験してきたような「会社選び」が、今の若い人たちの「就活」と、共通するものがほとんどないことに気づかされます。国公立の4年生の大学を出て大手の会社に就職するか公務員になれば、その先は程度の差こそあれ安定したものになる、などという考え方は、完全に昔話になりました。
 私が持っていたような考えは過去のものであるし、それが良かったとは思いません。では、現代の「就活」を、どう考えればよいかというと、どうも掴み所がない、というより他はないのです。
 若い人たちに、昔との違いをどう感じるか、と問いかけても、首を傾げられるばかりです。その人たちに向かって、「世代が違うから過去のことは参考にならないね。」「右肩あがりの時代とは価値観が違うんだね。」などと言っても、彼らはますます首を傾げました。

『病床六尺』 正岡子規
 子規は、次のように書いています。
 病気が重くなってくると、いろいろな問題が起こる。「死生」の問題は大問題だが、いったんあきらめてしまえば解決されてしまう。それよりも、大きな問題は病人の家族の問題だ。家族がどのように看護してくれるかが、病人の苦痛を和らげるか、またはより苦しい思いをしなければならないかを決める。
 
 これは、現代の病人にも当てはまる気持ちです。現代は、病気が重いときは、入院ということになりますが、その場合には、医師の診断と治療が中心になります。けれど、実際の入院生活を経験すると、看護師のはたらきが、入院患者の生活の質を決めることが多いのです。
 手術後の痛みに苦しめられた際には、お医者さんの処置が頼りです。でも、痛みが来そうなことを伝え、痛み止めが効いてきたことを伝える相手は看護師さんです。ただ、麻酔の薬に頼るだけではありませんでした。痛みの箇所と度合いを伝え、それを理解してもらう看護師さんの仕事が、患者の気持ちを楽にしました。

 子規の時代は、一家の主の看病はその家の女性がするのが当然だったと思われます。そのことは、現代とは違いますが、介抱、看病が病人にとっての「大問題」だというのは、よく分かります。

 そして、現代で入院をしている場合にも家族の看護ということは、病人にとって大きな要素になると思います。 
 それは、現代の日本のように、高齢者が多く、家庭の人数が減っている時代には、より深刻な問題になっていることを、実際に経験しました。今は、病人の看病や高齢者の介護は、看病や介護される方だけでなく、看病や介護する方にとっても大問題なのです。

病床六尺 正岡子規
 毎朝、テレビで国際ニュースを見ます。新聞を読みます。インターネットも使います。
 それなのに、世界への関心が広がっているかというとなんともいえません。世界への関心どころか、国内の出来事と地域の出来事に敏感になって、それについて物事を考えているかというと、それも怪しいものです。
 この頃は、広く物事を見るよりは、自分の興味のあることにしか目がいかなくなっています。

 子規の時代は、テレビはおろかラジオもありません。世の中の動きを知るには、新聞と書籍、そして見舞いに来る友人などとの話しかなかったようです。
 
 『病床六尺』には、身の周りのことや絵画や書籍のこと以外に次のようなことが取り上げられています。
 靖国神社の庭園の造りについて。近眼の人の不幸について。女に酒をのまない人が多いことについて。教師として真面目に働いても、家族を養うことができない経済の仕組みについて。今度大学を卒業した者の何人かが米国などの会社に入ることについて。
 そして、ただ珍しいこととして取り上げているだけでなく、子規自身の意見が述べられています。
 世の中の動きについて、関心を持ち、自分の考えを持つということは、情報をたくさん得られるということに比例しないのだと感じました。

薬のいらない体は酵素がつくる!』 鶴見隆史
 自分で、選んだ本でも、勧められた本でもありません。妻が、私の病後の食事のために、食品栄養素の本を選ぶときに、何かの参考になるだろうとついでに買った本でした。私は読もうと思っていませんでした。
 退院後は、自分でも食事に気をつけていたことは確かです。
 入院中の食事の特徴は、徹底して魚中心でした。それまでも、年齢や治療を続けていた生活習慣病の治療のためを考えて、食事の内容は変えてきていました。でも、生野菜を毎食摂ることはあっても、毎日魚を食べるということはしませんでした。回数からいうと、魚よりも肉が多く なっていました。ですから、最初のうちは慣れないというよりも驚いてしまいました。病院の食事は、毎日魚が出て、肉は週に1、2回だったのです。そして、そういう献立をだんだんと自然に感じられるようになりました。
 退院後も、それに近い食事内容が続いています。献立と、調理は妻なので、私は大きなことは言えませんが、入院中の食事内容を忘れないことと、入院中に受けた栄養士さんの栄養指導を守るようにしています。

 そんな気分から、この本も手にとってみたのです。さて、この本でなるほどと思ったことがいくつかありました。
 現在の食事は、揚げ物と脂身の多い肉は食べないので、脂質は、ずいぶんと少なくなっています。そうすると、さすがに脂質が不足するようです。そういうときに、青魚以外にはナッツ類やオリーブオイルが脂質を摂るには適しているらしいことが分かりました。
 生野菜はドレッシングは使っていないので、オリーブオイルを少量かけることと、無塩のアーモンドを量を決めて食べることをやってみています。

 こういう献立は、健康第一というよりも、今までと違うおいしさを感じるようにしています。

 話題は変わりますが、この本のようにお手軽に読めて、読者の疑問に対する答えだけが書かれている体裁になっている本が、よく買われるということは、よい風潮ではないと思います。読者のひとりとして反省しなければならないと思います。
 今回の私のような食事についての疑問は、個別の事情に基づいたものですし、著者もそれについては個別に指導助言するようなケースだと思います。
 不特定多数の人々をまとめて健康にするような方法が、1冊の本にすべて書かれていることなどありえないと私は思います。 

病床六尺 正岡子規
 病気の苦しみが表現されています。
ここに病人あり。体痛みかつ弱りて身動き殆ど出来ず。頭脳乱れやすく、目うるめきて書籍新聞など読むに由なし。まして筆を執つてものを書く事は到底出来得べくもあらず。

もうかうなると駄目である。絶叫。号泣。ますます絶叫する、ますます号泣する。

 
三十八、三十九は、苦しみと救いのない病状が短く綴られています。
 どこかに救いを見つける。あるいは、心の内を綴ることによって苦痛を減ずることができる。そういうものは見つかりません。
 宗教も、病苦を味わった人からの言葉も子規の苦しさを救いません。麻酔剤も効かなくなり、死ぬ方がましであるが、殺してくれる者もいないとまで書かれています。
 だが、なにか分かりませんが、決然としたものを感じます。四十二に次のような部分がありました。
あきらめるよりほかはないのである。

けだしそれはやはりあきらめのつかぬのであらう。笑へ。笑へ。健康なる人は笑へ。病気を知らぬ人は笑へ。

 
私の病気は、検診の中で見つかったので、苦痛はおろか自覚症状が全くありませんでした。発見された病気の治療のための手術こそ、消化器系の手術では最も難しいもののひとつ、と主治医から言われましたが、子規のような苦痛は皆無でした。
 でも、ここの「あきらめ」ということは、少し理解できます。だが、「笑へ。」の心境は、よく分からない境地です。  泣き悲しむ、嘆き恨む、絶望して自棄になる、ということとは異なる、何か、決然としたものだけを感じます。

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『病床六尺』 正岡子規
 この作品(日誌)の三十四で、「水難救済会」のことが書かれています。当時の団体のことで、詳しいことは分かりませんが、子規の文章からすると、難破船の救助のための民間組織のようです。
 そして、当時の「赤十字」には会員が多く集まっているが、日常的には「水難救済会」の方がよほど役に立っているとして、「赤十字」の活動よりも、「水難救済会」の活動に加わるべきだ、という意見を述べています。
 病床から動くことのできない子規の関心としては、ずいぶんとかけ離れたもののように思えます。しかし、子規の関心は、絵画のことや書籍のことや枕辺のことだけではありません。当時として知りうる範囲で、社会の動きについても、関心を持ち、このように意見を述べています。

 私は入院の当初は、考えることのほとんどが、自分の病気のことでした。特に、治療方針が決まるまでの検査のための入院中は、どんな診断が下るのだろうか、とそればかりが頭の中を巡っていました。ですから、身体的には、それほど負担のない検査が続いても、精神的には辛い時期でした。
 ただ、本を読む習慣と、ラジオを聴く習慣はあったので、それで気を紛らすことはできました。テレビも見ましたが、病院の消灯時間後は、イヤフォンで聴くラジオが頼りでした。ラジオを聴きながら、病気のことばかり考えてもしょうがないと思い始めました。
 そして、治療が終わって退院できたらあれをしよう、というようなことを考えたり、ラジオでニュースなどにも関心をもつようにしました。
 これは、入院中の精神状態をよくするために、役に立ったと思います。

 自宅で、治る見込みを持てない病の床にあった子規が、このような関心を持っていたのは、強い精神力の賜だと思いました。

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