本屋のとなりは写真館

朝日新聞連載小説『国宝』『ディス・イズ・ザ・ディ』の毎回ごとの感想と、読んだ本の感想を更新しています。

カテゴリ: テレビ・ラジオ・CDなどの感想

gontii スーパーベスト 2001-2006 GONTII

 NHK FMの「世界の快適音楽セレクション」を聴いているので、GONTIIのアルバムを聴いてみたくなった。
 イージーリスニングというカテゴリーがあるが、私にとってはまさにこれだ。BGMとして聴いてもよし、一曲一曲を味わってもよしだ。
 ベストアルバムだけに、統一感がないのが難点といえば難点だが、安心して楽しめる。それに、ギターテクニックだけを誇示するようなところがないのもよい。

 こんなにシンプルに演奏される「Danny Boy」は珍しい。ストリングスの部分がしっかりしているのも感心した。

 永六輔さんの話しぶりは、ずいぶんと長い間耳にしている。
 ある番組を意識して選んで聴いていたのではない。彼の感覚や考え方に強く共感したのでもない。
 それでいながら声を聴くと、すぐに永六輔さんだと分かった。世の中への批判も安心して聴けた。その時の流行にのって、意図的に作られた意見とは違っていたから安心して聴けたのだ。
 
 番組を選ばないで、ラジオをつけることがある。その時の放送をただ受け身で聞くだけなのだ。そういう時にも引き込まれて聴いてしまうことがある話し手だった。

 永六輔さんのように、ラジオの役割をつかんで、ラジオで聞き手を楽しませてくれる人がこれからも出てほしい。
 年をとると、ラジオはますます大切な存在になっている。

BROTHER 監督 北野武

 前回観た時は、新手のバイオレンス映画という印象で、特に好きにはならなかった。
 今回は、その印象が大きく変わった。
 バイオレンスには違いがないが、監督の主張を感じた。映画の主題と言ってもよい。
 ○暴力の末路。
 ○現金の価値の重みとむなしさ。
 それを、描いている。

 また、面白い視点からの描写もあった。
 ○バイオレンスのヒーローにも戦い以外での日常がある。
 ○バイオレンスにも日本とアメリカの文化の違いがある。

 好きな映画ではないが、印象には残る作品だった。

座頭市 監督 北野武

 勝新太郎の座頭市のようなおもしろい映画を創ろうという監督と制作スタッフの思いを感じた。

 過去の座頭市シリーズを超えられなかったのは確かだ。
 だが、新たな要素が加わって成功しているとも感じた。
 それは、北野映画得意の喜劇としての要素だ。いわばショートコントのような場面場面が楽しめた。例えば、ガダルカナル・タカが演じる登場人物が村の若者に剣術を教えるシーン、なんということのない設定と演芸舞台のパクリともいえる殺陣だが、妙におもしろい。笑いの王道を丁寧になぞっているのであろう。

 どんな映画でも、原作脚本の土台がしっかりしていることとスターの人気に寄りかからないことが大切なのだ。

龍三と七人の子分たち 監督  北野武

 楽しめなかった。
 役柄とほぼ同年齢の役者の演技に面白みを感じられなかった。
 キャスティングでは、北野武が龍三を演じれば、かなり映画全体の雰囲気が変わったと感じた。
 また、北野映画には、独特のいくつかの仕掛けや小ネタともいえる場面があるが、この映画ではその笑いのポイントに反応できなかった。例えば、数を指で示す場面などは、すぐに裏を読めてしまった。
 現代的な題材とは思うが、老人が活躍するという話はなかなかに難しいものだ。時代はグンと前になるが、長谷川町子の漫画「意地悪ばあさん」のような痛快さを現代化できないものだろうか。

映画 ビリギャル 監督 土井裕泰

 泣いた。笑った。ただこういう感じはあまり長く残りはしないとも思った。
 
 この監督のうまい所。
 主人公が塾へ行く前の出来事を、伝聞としてあっさりと片付けた点。塾の先生が、主人公に深々と頭を下げるような演技。主人公と友人たちが遊ぶ場所の描き方。高校教師役、父親役のキャスティング。

 映画の元になった話を含めて、女子高生だから成立するのだろう。その理由を説明できない。しかし、女子高生とその文化?は、現代日本社会ではある地位を確実に占めている。

 主人公を取り巻く人々や学校がデフォルメされた現実で、主人公だけが現実離れしているというパターンをきっちりと踏んでいることが、この映画のおもしろさにつながっていると思う。だから、結末を知っていても観ることができるのだろう。

マッドマックス 怒りのデスロード 監督ジョージ・ミラー

 特殊車両とでもいうべきか、使われている車両の出来と走りが魅力的だった。
 ということは、役者とストーリーは二の次だったということになる。
 基本的にアクションをいかに楽しませるかの映画だが、今までのマッドマックスシリーズには、乾いた後味の戦闘場面と、どこかウエットな主人公という味があった。それが、今回は感じられない。
 その代りに、ある意味のロードムービーといえそうな特殊車両の走行戦闘場面と、主人公ならぬ二人のヒロイン・ヒーローであるフュリオサ大隊長(シャーリーズ・セロン)と、ニュークス (ニコラス・ホルト)がよかった。
 走行場面では、巨大なタンクローリーがスタックしたときに、いかにも頼りなさそうな立ち木に頼るシーンと、人間キャブレターとでもいうべきシーンがおもしろかった。
 また、ニュークスという元来非個性的な役柄が妙に人間らしく演じられていた。
 
 アクション映画でシリーズ化され、その都度楽しめる要素は、最後は主役の魅力と悪役がいかに丁寧に設定されているかに尽きると思う。アクッションそのもので新奇さを競うことには限界がある。
 高倉健、勝新太郎、スティーブン・セガール、別格だがブルー・スリーの主演作を観るたびにそう思う。

海街diary 監督 是枝裕和

 登場する女優のメイクアップがきれいだった。助演陣のメイクアップもそれぞれよかった。
 タイトルロールの「海街diary」のレタリングがいい感じだった。
 こういう所にも監督の意向が反映されるのだろう。

 日常の生活を描けていると感じた。そして、そこに起こる非日常もありそうなことが設定されている。
 その非日常とは、離婚後の家族と、突然の遺産分与要求に関わることだった。
 制度としての「家」が人を縛ることは少なくなったが、今度は流動的になった婚姻形態が人を苦しめることもあるという現実が分かる。そして、現在の民法による遺産相続のマイナス面も示されている。

 ただし、主役の四人姉妹が日常を演じ切れているかというとそうは感じなかった。脇役の大竹しのぶ、風吹ジュン、樹木希林、リリー・フランキーにおおいに助けられている。これだけのキャストを組めるのも、監督の力なのか、それとも別の力なのだろうか?

 残念なのは、美しい見せ場の場面が何か所かあるが、それが感動するとまではいかない所だ。これは、カメラの台数などロケにかける予算や、映画音楽の演奏陣の問題がありそうだ。いずれにしても、美しい実写映像とそれを支える映画音楽にはとてつもない時間と費用がかかるのだろう。

ラジオ NHK第一 AM マイ朝ラジオ 全国の天気予報

 天気予報を知りたい時は、テレビのデータ放送が詳しい。最近は、知りたい地域が狭くなり、予報時間帯は細かくなっている。
 天気予報を知りたいと思ったのでなく、番組を聴いている中に全国の天気予報のコーナーがある。対象地域は広いし、時間帯も一日単位だ。だから、天気予報としては聞き流していた。
 フッと気づいた。「今日の全国のお天気を西からお伝えします」とのアナウンスの後に、沖縄地方から予報が始まる。そうすると、日本地図を思い描きながら聞いている。また、「北日本を前線が横切るので」と言われると、ぼんやりしたものだが、天気図を想像しながら聞いている。
 「道南の日本海側は」と言われると、北海道の地図を思い浮かべ、そこに天気図をかぶせている。
 もちろん、地図も天気図も正確なものにはならない。

 テレビやインターネットの、○○市○○区の1時間ごとの予報を知ることに比べると、とんでもなく大まかだ。だが、天気の動きを覚えているのは、大まかなラジオの方だ。
 どちらにしても、私の生活に予報は当たっても当たらなくても、大きな影響はない。

 特に好きなラジオ番組は、NHK FMの「世界の快適音楽セレクション」と「ウィークエンドサンシャイン」だ。二つの番組が続いて放送されるので、そのまま聴くのは無理がある。
 そこで、録音する。ポータブルラジオレコーダーICZ-R51と、パーソナルオーディオシステムCFD-RS501を使っている。両方とも操作が、慣れるまでは厄介だが、性能はよい。
 ICZ-R51の方が持ち運びが楽だし、録音をしたい時間と録音を聴きたい時間が重なることがあるので、両方あると便利だ。
 録音をしたら、パソコンでメモリーカードにコピーする。これで、車でも部屋のオーディオでも番組を聴ける。

 長い番組なので、何回にも分けて、何回も繰り返し聴いている。

 今は、この二つの番組が私の好きなアルバムのようになっている。

NHK TV 新日本風土記

 興味のない番組だったが、興味を感じるドラマがほとんどなくなり、見るようになった。3~4か月ほど、続けて見た。
 現代の日本に、こんな風習が残っているのかと、不思議な気持ちがした。また、取り上げられる人の描き方が丁寧で、誇張がないように感じられて、好感をもった。なによりも、風景の映像が美しかった。
 しかし、だんだんにその番組作りの姿勢に飽きてきた。どの番組がつまらなかったとは言えないが、10月11月でおもしろいものは少なかった。
 映像として美しいものだけを選別している。
 取り上げる人々が、古い日本の風習を守ろうとする人か、地域に根付いて暮らしている人かに固定している。
 この二つは、この番組のねらいそのものだから、それはそれで良い。だが、あまりにその姿勢が強すぎて、美しいもの古いものと共にあるはずの風景が全てカットされているように思う。
 また、古い風習や伝統を守ろうとする人々の、一面だけを強く捉え過ぎている所にも不自然さを感じ始めた。

 日本の伝統の良い面を取り上げるテレビの番組は大切だと思う。また、良い面と美しい面を選別して映像化することがあってよいと思う。
 しかし、それに合わない所を全て消してしまうのであれば、すぐに飽きられるものになると思う。


 

wowow 映画 モーターサイクル・ダイアリーズ 監督ウォルター・サレス

 その場所へ行って、そこの空気の中に入って、そこの景色を見なければ、外の世界を知ることはできないと改めて思った。
 出かけるのが最近は億劫だ。でも旅に出るのが、新しい事に触れる一番いい方法だ。商品化された旅行はだめなので、自分で行き先を選んで、自分の道順で行かなくては意味がない。
 この作品からは、未熟さと無謀さを、そして、それを上回る好奇心と行動力の魅力を感じた。


wowow 映画 グランド・ジョー

 よかった。

 映画館に行かないし、テレビで放映した映画しか観ていない。それも、最近は何を観るかの傾向も特にない。
 この映画の前には、「ガメラ 大怪獣空中決戦」」を観始めたが、途中で寝てしまった。
 この数か月に観た洋画では「鉄くず拾いの物語」がよかった。
 「グランド・ジョー」は、なんの予備知識もなく番組表の短い紹介だけで選んだ。半分くらいまでは、たいして引き込まれもしなかった。後半にいくにしたがって、映画に集中できた。
 観終わって、しばらく呆然とした。エンディングタイトルに曲が流れるが、その訳詞の字幕にも見入ってしまった。

 私の若いころ、アメリカは、映画とテレビドラマとミステリー小説の中でかっこよさそのものだった。
 最近のTVドラマの中では、日本もまもなくこうなるのかと思わせられる暗さに満ちている。
 この映画は、アメリカの中でも特殊な地域だろうが、アメリカの現在が伝わってくるような気がした。描かれているのは悲惨な家族と若者、そして独り者の男だ。ストーリーは暗い。幕切れも決して希望に満ちているわけではない。
 だが、苦しみながら失敗しながらもよりよく生きようという意志と、さまざまな困難を乗り越えていく者がいる、そんなアメリカを久しぶりに感じた。

 

TV NHK総合 歴史秘話ヒストリア やっぱり妻にはかないません! ~初代総理大臣・伊藤博文 妻 梅子
『それから』 夏目漱石


 この番組から思ったこと。
○江戸時代から明治時代にかけての結婚は、家と家のものであり、親同士が決めるものであった。それは道徳にもかなったものだった。
○明治時代は、花柳界の女性を相手にすることには、世間は寛容だった。そして、その場合に、男が既婚か未婚かは問われなかったようだ。

 明治時代には、男女関係の道徳的規範が現代よりも厳しかったというのは、ある面では当たっているであろう。しかし、それには本音と建て前、理想と現実があり、当時の人々はそれを使い分けて平気だったような気がする。
 姦通罪が施行されたということは、その事実が取り締まりを必要とするほどだったということだろう。

 現代との違いは、男女平等の考え方がなかったこともあげられる。男性の花柳界遊びには、社会も寛容だったし、結婚も男性に有利な面があったといえる。
 『それから』の主人公は、鋭い感覚と思考力で、芸術を味わい、労働の意味を考え、男女の愛に悩む。しかし、芸者遊びをすることには、なんの疑問も感じず、ある正当性さえ表現されている。
 江戸時代から明治時代にかけての世間の大半の夫婦は、本人の意思に関係なく結婚している。そして、そういう夫婦が問題もなく社会生活を維持していたのは、歴史的な事実といえるだろう。
 では、好きになった男女の結婚がなかったかというと、そうでもないようだ。特に明治に入ってから、恋愛結婚も世の中に認められだしたといってよいようだ。
 それが、伊藤博文と梅子の場合だろう。


 私たち太平洋戦争後生まれの世代がもっている結婚観は、歴史的に見ると、かえって特異なものかもしれない。

NHK総合TV『まれ』2015/7/9放送

 「まれ」の父親役の大泉洋に感心した。真っ青なパンツに紅白の縞模様のシャツ。今時漫才コンビの衣装でも使いそうにない。それが、似合っている。ダサさとフィット感、そして衣装が語るキャラクター。大泉洋にしか似合いそうもなかった。スタイリストも大したものだ。

 先週の放送だったと思うが、彼の演技にも感心した。「まれ」の父が激怒して大声をあげる場面があった。父は本気で怒って大声を出したのに、側にいた登場人物たちには何の影響も与えないのだ。「まれ」の父の大声は完全に無視された。
 激怒の仕草でありながら、他の登場人物たちは歯牙にもかけない。こういう演技は一流の喜劇役者の工夫の賜だろう。大泉洋は、そういう演技をサラリとやってしまう。いや、元来彼は工夫なぞしないのであろう。

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