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朝日新聞連載小説『国宝』『ディス・イズ・ザ・ディ』の毎回ごとの感想と、読んだ本の感想を更新しています。

カテゴリ: 新聞連載小説・沢木耕太郎・『春に散る』の感想

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第494回2016/8/20

 それは、月の光を浴びながら、まるでボクシングによって語り合うかのように、長く長く続けられた‥‥。

 美しい場面だ。
 これ以上のことがあるだろうか。
 二人は、世界チャンピオンになることよりも価値のある時間を過ごしたと思う。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第493回2016/8/19

 広岡が元気なうちに世界チャンピオンになろうとしている翔吾の気持ちは、よくわかる。
 広岡は、真拳ジムから世界チャンピオンを出すことを、自分がすべきこととしていた。それは、亡くなった真田会長が望んでいたことであり、真田会長の望みにこたえようという気持ちは強い。
 翔吾は、そんな広岡の気持ちを具体的に聞かなくとも、わかっていたのであろう。
 では、広岡の方は、翔吾が世界チャンピオンになったら心から喜ぶだろうか。たとえ、世界戦が無事に終わり、しかも翔吾が勝っても、眼に不安を抱えていることに変わりはない。それでも、広岡は満足するだろうか。私には、広岡が心から喜ぶとは思えない。
 翔吾は、広岡を信頼しきっている。広岡は、翔吾を無条件で受け入れている。そんな二人だが、互いの心の奥を知るのは難しい。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第492回2016/8/18

「いまになって訊いても遅いけど」

 本当にそう思ったらこうは言わない。今になってはどうすることもできないが、訊いておきたいのだろう。
 広岡は、日本に戻って来て思いもかけない多くのことをやり、仲間からも若い二人からも慕われている。しかし、彼がそれを心から喜びすべきことをやり遂げたとは感じていないように思う。
 令子にとっても、広岡にとっても、昔の別れの理由をはっきりとさせなければならないのではないか。


 翔吾の世界戦へ向けての不安がまた増えた。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第491回2016/8/17

「中止にしてもいいのよ」

 令子のこの言葉が、冷静に翔吾のことを考えている結論だ。
 以前の藤原、佐瀬、星の間で交わされた議論「見えなくなった眼で生きていかなければならないんだぞ」にも結論は出ていない。
 スパーリングも十分にできない状態で、不安を抱えながらどうやって世界チャンピオンに挑戦しようというのか?
 でも、冷静で理に適った考えがいつも最良というわけではないのだろう。


 桜が咲き始めた土手を歩く広岡と令子の話は、過去のことか、現在と将来のことか。それとも何も言わずに、時を過ごすのか。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第490回2016/8/16

 令子がなぜ真拳ジムを引き継いだのか、ずうっと疑問だった。やっと、その理由がわかった。

「(略)やっているうちに、もしかしたらこれこそ自分のやるべき仕事だったかもしれないと思うようになってね。(略)」

 これこそ、その理由であり、これ以外にはないのであろう。

 職業としての弁護士とボクシングジムの会長では、その収入の安定度や社会的な信頼度では差がある。彼女は、そういう社会一般の評価を度外視して、「自分のやるべき仕事」を選んだのだ。


 広岡が、日本に戻って来た理由も、はっきりしなかった。

「(略)未来への希望もなければ、たったいまの欲望もない。(略)わずかに残っていたのは、もし日本に帰ったら‥‥という自分でも得体の知れない胸のざわつきだけでした。(略)」

 これこそが、日本に戻って来た理由であった。
 
 広岡と令子の言葉には、共通点がある。
 周囲の期待や自分が目標としてきたこととは別のやるべきことを求めている点。そして、自分のやるべきことが、ボクシングに関わる点。


 令子の次の言葉は、当たっていると思う。

「でも、いまは仲間がいるじゃない。黒木君や佳菜子ちゃんもあなたを慕ってる。それ以上、何が必要だと言うの?」

 もしも、広岡に必要なことがあるとしたら、令子への気持ちを過去に遡って伝えることだと思う。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第489回2016/8/15

 広岡は、今でも令子を他の誰よりも頼りにしている。
 彼女の息子に依頼をするにしても、令子のいない場所で話をすることはできたはずだ。令子がいる場所で、いわば遺書の依頼をしているということは、弁護士の公平にだけでなく、令子にもすべてを話したことになる。

 今までも、広岡は令子に、いろいろと助けてもらっていた。部屋を借りるときの身元保証、佳菜子を連れていくレストラン、翔吾の所属ジムについても相談していた。翔吾が世界戦に挑戦できるのも令子の存在抜きでは考えられない。
 そして、令子の方もいつも広岡を信頼し、力になっていた。
 だからこそ、広岡は自分の病気のことを令子に、最初に打ち明けたのであろう。
 
 息子の公平が感じたように、現在でも広岡と令子の間には特別な信頼関係がある。これは、二人の過去にはまだ読者に明かされていない何かがあるに違いない。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第488回2016/8/14

 死後自分の持ち物を、他を煩わせることなくスッキリと無くしたいと思う。
 もちろん、現実では広岡のようにはいかない。だいたいが、財産と呼べるようなものには縁がない。
 だが、参考になることは多い。
 ○自分の持ち物を正確に把握しておくこと。
 ○もし、分けるべきものがあれば、誰にどう分けるかを決めておくこと。
 ○決めたことを、法的に効力のある文書にしておくこと。
 そして、なによりも大切なのは遺されて困るようなものは自分で処分しておくことだ。最近は、故人が住んでいた土地と住居が遺産どころか、大変な重荷になることが社会問題にさえなっている。

 広岡には、生活用品を含めて私物がきわめて少ない。自宅と呼べるものさえなさそうだ。また、家族がいないので、自分の意思で全財産を思いどおりにできる。
 
 小説は、現実の矛盾を描き、それを乗り越えた世界を見せてくれる。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第487回2016/8/13

 不意に広岡が右のパンチを放ち、翔吾が左で迎え打つ‥‥。

 老人が屈強な若者にいきなりパンチを放つ。「不意に」とあるから、面と向かい合っている時でなくても、二人が近づいた時にいつでもあるということだろう。
 まるで、剣豪小説の山奥での修行のようだ。
 

 広岡は、信頼できる弁護士に何かを依頼したいのか。依頼するとしたら、彼の財産やチャンプの家の所有に関することか。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第486回2016/8/12

 両手が利き手として使えるボクサーなんて聞いたことがない。
 でも、プロ野球の世界では、投打の二刀流、また大リーグデビューが遅いのに3000本安打など不可能とされていたことが達成できている。
 両手とも速くて強いパンチが打てるという発想も現実離れしたものではないと思えてくる。
 そのためのトレーニングがずいぶんと地道な方法だ。
 広岡たちの教えは、奇抜なものもあるが、ランニングや荷役のアルバイトなど地味なものもある。日常生活ですべての動作を意識的にやることは、何時間かジムでトレーニングするよりも難しいと思う。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第485回2016/8/11

 クロス・カウンターは、広岡が教える。だが、「大塚のスピードとテクニック」をどうやって身に付けさせるのだろう。それも、広岡が教えるのだろうか?
 それとも、何か秘策があるのだろうか?
 世界戦の前にスパーリングはないが、また特別なトレーニングが始まりそうだ。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第484回2016//10

 広岡以外の三人がまず動いたので、今回のやりとりが成り立った。そして、それによって、佳菜子に笑いが戻ったし、翔吾を治せなかったことも深刻なものにならなかった。
 広岡のキャラクターに魅せられてきたが、今回は星、藤原、佐瀬のキャラクターが際立つ。老人三人、それもそれぞれに過去に事情のある三人だ。だが、広岡も含めて、過去は過去として、現在に生きがいをもって暮らしている老人四人であることが伝わってくる。
 この回の最後の翔吾の言葉から、チャンプの家の全員の気持ちがより近づいたことを感じる。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第483回2016/8/9

 佳菜子は、今までの人生では打ち明けることのできなかった思いを吐き出すことができた。
 
 広岡が、自分を生んで亡くなった母に対する思いを真田会長に話した場面を思い出す。


 いつもの四人の様子と違う動きが感じられる。
 広岡よりも星が、佳菜子の心情を察することができた。広岡でなく藤原の言葉で、佳菜子は打ち明けはじめた。


 佳菜子が話したことを、翔吾はすでに知っているのか。もし、翔吾も初めて聞いたとすると、翔吾は佳菜子の気持ちと、治らなかったことをどう受け止めるか。
 もしも、次の試合で翔吾が眼を痛めることになれば、それは翔吾自身の問題だけでなくなる。佳菜子の次の言葉がそれを暗示している。

「(略)わたしは大切な人に何もすることができないまま見送ることしかできませんでした‥‥」

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第482回2016/8/8

 治っていなかった。

 これで、かえってほっとした。
 もしも、治っていて、佳菜子に不思議な治癒能力があるということになったら、その後の問題が大き過ぎる。


 佳菜子は、特別な能力がもつわけでも、奇跡を起こす力をもっているのでもなかった。
 それが、今の佳菜子だ。

 今までの佳菜子は、どうなのか。
 彼女がいなければ、「白い家」を手に入れられなかった。彼女がいたから、翔吾と広岡たちの交流が生まれた。そして、チャンプの家は彼女の存在なしでは何かが欠けたものになる。


 佳菜子が翔吾のことを強く思い、広岡と三人は翔吾と佳菜子のことを強く思っている。治せる治せないではなくて、そのことがよくわかる。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第481回2016/8/7

 翔吾が試合の後で手術を受けることについての三人の議論に、結論は出なかったようだ。
 
 藤原、星、佐瀬は、佳菜子に治癒能力があるという話を聞かされても、それを信じてはいなかった。だから、翔吾への佳菜子の治療行為を否定はしなかったが、大きな期待を寄せてはいないと思う。

 広岡は、以前から佳菜子の特殊な能力について肯定も否定もしていなかった。だが、その力に期待している。

奇跡を生み出さないともかぎらない(480回)

 四人がこう思ったのではなく、広岡一人がこう思ったという表現になっていた。また、佳菜子が翔吾の部屋から出てくるまで待っていたのは、広岡一人だ。

 
 もしも、翔吾の眼が治ったとしても、それをどう証明するのか。また、病院で検査、診断してもらうのか。
 
 翔吾の眼が治り、世界タイトルマッチで勝利し、世界チャンピオンになったとする。だが、世界チャンピオンの翔吾が、それ以後、眼の心配をすることなくボクサーを続けられるのか。


 佳菜子が翔吾の眼を治すことにができたとする。そうすると、佳菜子が広岡の病気を知ったときには、どうなるのか。

 ストーリーの行方に予測がつかない。

朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第480回2016/8/6

 今回は、特におもしろかった。

 三人の議論は、私が予想したような浅いものではなかった。

(略)‥‥それは長生きをした老人の意見だ‥‥そうだ、早死にできればそれにこしたことはないが、眼が見えなくなっただけでは死ねない、見えなくなった眼で生きていかなければならないんだぞ‥‥。

 ウーン‥‥、ストーリー云々だけでなく、考えさせられる。世界チャンピオンになるチャンスを逃すよりも、「見えなくなった眼で生きていかなければならない」ことの方が重い。
 
 小説の登場人物のすべてが、作者自身を反映していると思う。それだけに、この議論から作者の思考が感じられる。

 
 佳菜子がこう言うとは、思わなかった。今までの佳菜子の言動からは、自分の治癒能力を信じている気配はなかった。

 広岡と同様に「奇跡を生み出さないともかぎらない」と、読者として思ってしまう。ただし、私はその「奇跡」は、ただ眼を治すだけではないと思う。 

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