身体の調子が悪くて、辛い時は、生きているのがいやになる。
嫌になったからといって、死ぬわけにもいかない。
ぼやきながら、なげきながら、暗い気持ちで、生きている。
もちろん希望に満ちたときもある。
でも、すぐに弱音をはき、周囲にいわれるままに、病人としての日課をこなす。
これが実態だ。

この暗い気持ちが変わってきた。
ものに励まされるのだ。
目覚めてボンヤリとしている周囲が、めがねの助けで少し見えるようになる。
車いすを変えると、家のなかの移動が楽になる。
ミニコンポを部屋に持ち込むと、CDを楽しめるようになる。
身の周りのモノが、もう少し生きろと、語りかけてくる。

このモノの象徴が、『百万回生きたねこ』だ。

よいといわれるものは全部試した。
浣腸をしてもだめなのだ。
経験のない人にはわからない苦痛だ。

それが訪問看護師さんの手当てではじめてすくわれた。
なぜ病院の看護師さんやお医者さんがしないのか、人手や設備、さまざま問題があるのだろう。

治ったのではなく、すくわれたのだ。

これはおしっこじゃない、うんちだ。
まにあうだろか、まにあわせなきゃ。
車いすを、慎重に、力もいれて。
トイレのとびらでは、うんちはがまんできる限界をこえた。
紙パンツがたよりだ。
車いすの手すりでターン、もう出ている。
出てしまった。

普通の人が、飲む量の10倍もの下剤を飲んでも効かない。もちろん処方されたものだ。
こうなると、痛みや不眠などとは違う苦痛だ。

午前中の10・11時に寝ていて、午前の3時にパソコンに向かう。
これが私のパターンだ。

他人は、それはよくないという。
そういわれても、昼間の過ごし方がちがうのだから、納得できない。

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