体調が戻りつつあると、以前にできていたことの何割かをやってみたくなる。室内で、軽い体操をやってみたり、車で近所のスーパーまで買い物に行ったりした。それができると、次の日には、もう少し、体を動かすことを増やしてみたくなり、動く時間が増えていった。そういうことを1週間ほど続けると、熱がまた出た。
医師は、その程度なら普段の生活の活動量と発熱は関係がなさそうだと、言う。でも、自分でできる体調管理は、日常生活を工夫することくらしかない。だから、動いたり外出した日の次の日は、専ら休養している。
休養には、録画した日本映画を観るのが適している。
録画して観た映画でおもしろかった作品
『なくもんか』 監督 水田伸生
「阿部サダヲ」は、そんなやつはいないだろうという主人公を、いるかもしれないな、という気にさせてくれる。一方、「瑛太」は、そういう行動をとるやつはいそうだな、という人を、どこか現実離れした人物にみせてくれる。この、二人の兼ね合いがよい。
この作品では、いくつもの話の落ちが組まれていて、そのいくつかがおもしろかった。
その1。
主人公が作って評判になっているハムカツの秘伝のソースが、ごく普通のソースに取って替わられた。すると、その普通のソースの方がうまかった。それを、逆手にとって、普通のソースつきのハムカツをどんどんと売り出す展開。食べ物についての評判の本質を、ついていると思う。私は、大量生産で造られたクッキーと、吟味した材料で手作りされたクッキーの区別はつかない。
でも、全部の食べ物がそうかというとそうでもない。おにぎりは、家でにぎったものと、コンビニのおにぎりの区別はつく。
その2。
八方美人を貫き通して、疲れ果てた主人公が、エネルギーを回復する手段が謎であった。その謎は、週末だけおかまバーで、おかまになるということだった。予想できない展開だった。予想できない展開があるというのは、楽しい。
この作品で、感心したのはラストシーンだ。
映画のラストシーンは、台詞で終わったり、情景で終わったりする。『なくもんか』は、基本的には台詞で終わるのだが、俳優のアクションと舞台設定がよかった。どこにでもありそうな野外イベントの舞台上、ゆるキャラの衣装から顔を出し、お笑い芸人としての決めのポーズ、ある意味、最も現代の日本の舞台にふさわしい設定だと思った。
金持ちさんちの貧乏人 作詞 玉置浩二・須藤晃
玉置浩二の歌だ。作詞は玉置浩二・須藤晃とあった。
金持ちさんちの貧乏人
良くも悪くもない
金持ちさんちの貧乏人
金もって いかんでくれよ
金持ちさんちの金持ちさん
金持ちさん
金持ちさんちの貧乏人
リズムによくのるフレーズだ。
「金持ちさん」の家に生まれて、使う金には困らない。でも、それは親の金であったり、妻の金であったりする。傍からはなんの不自由もないように見えても、本人は、実は貧乏なのだ。
自分の学歴とその就職先の給料から選んだ会社で、そつなく勤めている。安定した職があり、収入も多い。でもそれほどしたかった仕事でもないし、その仕事に打ち込んでいるわけではない。そういう場合も、本人としては上を見るときりがなく、気持ちとしていつも貧乏なのだ。
平成の日本は、世界でも金持ちの部類に入る国だ。特に国民の金持ちの度合いは低いとは言えない。物も金も他の国の人々と比べると、「金持ちさんち」の国だ。でも、「金持ちさんちの貧乏人」というのが妙にしっくりくる国だ。
見栄はって チェックインして どうするつもり
見栄張っていてもなんにも得るものはない。金持ちさんちの生活は楽ちんだ。でも、貧乏人であることも分かっていたい。