朝日新聞記事「生き方」より「在り方」 沢木耕太郎さん「春に散る」に加筆し書籍化2017/1/26
この記事に紹介されている沢木耕太郎の言葉が、気になっていた。
『国宝』に、「彫師の辰」のことが出て来て、再び思い出した。『春に散る』と『国宝』が描いている昭和生まれの男のことが気になるのだと思う。
この記事から引用する。
心臓を病み、40年ぶりに帰国すると、かつて同じ寮で過ごした3人のボクサーを訪ね歩く。彼らが家族もなく孤立していることを知り、再び共に暮らすことを思いつくが、仲間の1人から「昔をなぞっても仕方がない」と言われてしまう。
「仲間の1人」は、「星」だったと思う。「星」は、サーフィンに夢中になり、サーフィンだけに生きようとして挫折した。その後、ボクシングに目覚め、「広岡」と同じボクシングジムに入った。また、主人公の「広岡」がボクサーになるきっかけを与えたのが「星」だった。チャンピオンにはなれなかった「星」は、結婚して、女房と小料理屋を開いた。しかし、それは安定したものではなかったらしいし、女房に先立たれてしまった。
仲間の他の2人も、老いて孤立した生活を送っていた。
この元ボクサー3人のことが、連載が終わっても心に残り続けている。
「広岡」は、経済的には成功をしている。仲間の3人は、成功者には程遠い老後を迎えている。これは、3人が元ボクサーだからか。違うと思う。
中小企業の元会社員でも、自営業の元経営者でも、この3人との共通項は多いと感じる。
また、元公務員や大企業の元会社員であり、家族と共に暮らしていても、精神的にはこの3人に近い男は多い。
その意味で、『春に散る』は現実社会を反映している。
今新聞紙上を賑している退職したとたんに有名私大の大学教授になることの方が、庶民にとってはよっぽど夢物語だ。
「広岡」にとっても、仲間の3人にとっても、『春に散る』のその後は、それぞれがより年を取ることだから、老人の「生き方」はより難しくなるだろう。
『春に散る』の終末を思い出してみると、いくつもの疑問が湧く。
4人の共同生活は今後どうなるか。「真拳ジム」は今後どうなるか。「翔吾」と「佳菜子」はアメリカに渡るのか。
「広岡」は、そんな事柄に煩わされていない。考えようとさえしない。
求められたことに応じているだけだ。「翔吾」にも「佳菜子」にも、何かを教えたり伝えようとはしなかった。仲間の3人を援助したという気持ちもなかった。求められたことに、自分ができる範囲で応えていた。
そこがなんともいえない魅力だった。
「翔吾」も「佳菜子」も去って行くだろう。仲間の3人も去って行くかもしれない。
それとは違って、「令子」に頼まれて、「真拳ジム」でボクシングを教えるかもしれない。自分のボクシングを見失っている「中西」が「広岡」にトレナーになってほしいと頼むかもしれない。
その時にどうするか、「広岡」は、その時に自分ができることを、自分がいちばん正しいと思うことをするのであろう。
記事は、沢木耕太郎の講演会の言葉を引用している。
「一瞬一瞬をどう在るか。自分の在り方を意識することが、生き方より大事なのではないか」
「彫師の辰」は、「広岡」の精神的な父であった「真田会長」と同世代になるだろう。二人は、徴収され、復員し、敗戦後の時代を生きた。
「広岡」と「喜久雄」は、ほぼ同世代であろう。いずれも、昭和時代を生きる。
小説の時代背景をも考えながら、『春に散る』を思い出し、『国宝』を読み進めている。
この記事に紹介されている沢木耕太郎の言葉が、気になっていた。
『国宝』に、「彫師の辰」のことが出て来て、再び思い出した。『春に散る』と『国宝』が描いている昭和生まれの男のことが気になるのだと思う。
この記事から引用する。
心臓を病み、40年ぶりに帰国すると、かつて同じ寮で過ごした3人のボクサーを訪ね歩く。彼らが家族もなく孤立していることを知り、再び共に暮らすことを思いつくが、仲間の1人から「昔をなぞっても仕方がない」と言われてしまう。
「仲間の1人」は、「星」だったと思う。「星」は、サーフィンに夢中になり、サーフィンだけに生きようとして挫折した。その後、ボクシングに目覚め、「広岡」と同じボクシングジムに入った。また、主人公の「広岡」がボクサーになるきっかけを与えたのが「星」だった。チャンピオンにはなれなかった「星」は、結婚して、女房と小料理屋を開いた。しかし、それは安定したものではなかったらしいし、女房に先立たれてしまった。
仲間の他の2人も、老いて孤立した生活を送っていた。
この元ボクサー3人のことが、連載が終わっても心に残り続けている。
「広岡」は、経済的には成功をしている。仲間の3人は、成功者には程遠い老後を迎えている。これは、3人が元ボクサーだからか。違うと思う。
中小企業の元会社員でも、自営業の元経営者でも、この3人との共通項は多いと感じる。
また、元公務員や大企業の元会社員であり、家族と共に暮らしていても、精神的にはこの3人に近い男は多い。
その意味で、『春に散る』は現実社会を反映している。
今新聞紙上を賑している退職したとたんに有名私大の大学教授になることの方が、庶民にとってはよっぽど夢物語だ。
「広岡」にとっても、仲間の3人にとっても、『春に散る』のその後は、それぞれがより年を取ることだから、老人の「生き方」はより難しくなるだろう。
『春に散る』の終末を思い出してみると、いくつもの疑問が湧く。
4人の共同生活は今後どうなるか。「真拳ジム」は今後どうなるか。「翔吾」と「佳菜子」はアメリカに渡るのか。
「広岡」は、そんな事柄に煩わされていない。考えようとさえしない。
求められたことに応じているだけだ。「翔吾」にも「佳菜子」にも、何かを教えたり伝えようとはしなかった。仲間の3人を援助したという気持ちもなかった。求められたことに、自分ができる範囲で応えていた。
そこがなんともいえない魅力だった。
「翔吾」も「佳菜子」も去って行くだろう。仲間の3人も去って行くかもしれない。
それとは違って、「令子」に頼まれて、「真拳ジム」でボクシングを教えるかもしれない。自分のボクシングを見失っている「中西」が「広岡」にトレナーになってほしいと頼むかもしれない。
その時にどうするか、「広岡」は、その時に自分ができることを、自分がいちばん正しいと思うことをするのであろう。
記事は、沢木耕太郎の講演会の言葉を引用している。
「一瞬一瞬をどう在るか。自分の在り方を意識することが、生き方より大事なのではないか」
「彫師の辰」は、「広岡」の精神的な父であった「真田会長」と同世代になるだろう。二人は、徴収され、復員し、敗戦後の時代を生きた。
「広岡」と「喜久雄」は、ほぼ同世代であろう。いずれも、昭和時代を生きる。
小説の時代背景をも考えながら、『春に散る』を思い出し、『国宝』を読み進めている。