カテゴリ: テレビ・ラジオ・CDなどの感想

TVで観た映画 『任侠ヘルパー』 監督西谷弘 脚本池上純哉
ラジオ番組 NHK第1 『日曜討論 何が必要 子どもの貧困対策』
 『任侠ヘルパー』は、テレビドラマでも観ました。テレビドラマで観たとき(2011年)は、娯楽ドラマとしては、高齢者の居場所の問題を取り上げていて、当時としては珍しいと感じました。
 映画の方は、最近テレビで観ました。ドラマよりも、毒がある感じで、原作に近いのか、と思いましが、原作があるのではなくて、テレビの脚本が先のようでした。

 先日放送された『日曜討論』を聴きながら、この映画を思い出しました。映画は、高齢者の施設を舞台にしていましたが、シングルマザーの女性が二人登場しています。
 映画に登場したこの二人の女性は、それぞれ子どもがいました。その生活ぶりは、『日曜討論』で報告されていた現実の子どもの貧困状況と重なっていました。
 映画とドラマの中ですが、高齢者の居場所がないという状況は、現実の状況と重なります。
 そして、高齢者の問題よりは、最近になって取り上げられ出した、子どもの貧困が増加しているという現実も、映画『任侠ヘルパー』と、重なると感じました。
 この映画とドラマが、番組『日曜討論』のように、現実の問題を洗い出すというねらいをもっているとは思えません。さらに、この映画とドラマの主人公のような行動が、この二つの問題を解決する糸口になるとは、決して思えません。しかし、現実の一端を描いていると感じました。

テレビで観た映画  『ブロンコ・ビリー』  監督クリント・イーストウッド  私が観たクリント・イーストウッドは、どの映画でもいつも同じ顔をしていると感じます。役柄によって表情や雰囲気が変わるということがありません。ウェスタンの賞金稼ぎも大都会の刑事も、見終わって残る印象はクリント・イーストウッドを観たというものです。  高倉健にも同じようなことを感じます。それだけ圧倒的な個性の持ち主なのでしょう。また、それで多くの人に愛され続けるのですから、スターとはいえ、人間にはとてつもない個性があるものです。  この『ブロンコ・ビリー』に、私はあまり感動しませんでした。ストーリーは、なんとなくボンヤリしたものでした。時代背景と主人公の行動は、チグハグな所を感じました。   ところが、主人公をリーダーとして信頼している今にもつぶれそうなサーカスの冴えないメンバーが魅力的なのです。そして時代遅れで、どこか間の抜けた所があるサーカスのスターを演じるクリント・イーストウッドに、温かさが感じられるのです。  彼は、どの作品でもスーパーマン的な存在です。そして、完全無欠なスーパーマンではなく、どこか泥臭さを感じさせる面を持ったヒーローだと思います。 にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

TV番組 「ハナタレナックス」「サワコの朝」  大泉洋は、NHKの朝ドラマでダメな父親を演じています。大口ばかりたたいて、さっぱり実行できない、それでいてどこか憎めない所を持っている、そういう役を演じたらピッタリの役者だと思います。  泉ピン子は、言うまでもなく、イジワルな女を演じたらピカイチの役者でしょう。  その二人を、それぞれ違うトーク番組で視聴して気づきました。  二人とも、見てきたことを、おもしろく話す能力が抜群に高いということです。  泉ピン子は、芸能界に入ったきっかけを、芸人さんたちに「見てきたことをうまく話すおもしろい娘(こ)だ。」と言われたことにあったと、話していました。  大泉洋は、ナックスのメンバーに、自分の周囲にいたおもしろ人間のエピソードを、熱弁と言える勢いで紹介していました。おそらくこの話は何度も聞いたことのあるはずのナックスのメンバーは爆笑していました。視聴者がおもしろくないはずはありません。  見たこと、経験したことを、おもしろく伝えられる才能って、すごいことなんだと思いました。 読んでいただきありがとうございます。 ブログの記事も、おもしろさが伝えられたらと思いますね。そのためには、まずは筆者がおもしろく感じることでしょうね。 クリックしてもらえればさらにうれしいです。にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ      

 初めてこの番組を視聴しました。『なまさだ』、しかもスペシャル、5時間。さすがに、体力がないので、「ろくさだ」で。録画でみることをこういうらしいのです。  今までは、さだまさしに特に興味あったわけではないのですが、入院中に聴いたさだまさしのCDが気に入りました。それから少し気になるようになり、NHKFMの『今日は一日さだまさしざんまい』を、録音で聴き、『なまさだ』のことを知りました。  5時間、おもしろかったですよ。視聴し終わるのに3日間かかりましたけれど。  さだまさしという個性で、統一がとれているので、生番組で長時間なのに、安心して気を楽にしてつきあえました。 ゲストで出演するタレントは、皆その世界で実力のある人なので、その芸、技量が楽しめました。  それにしても、さだまさしという人の番組を創る力、段取りを決め、その段取りにそって演じる力はすごいと思いました。だから、歌だけでないライブステージがあれだけの人気になるのでしょうね。 にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ 続きを読む

 うちにオレオレ詐欺の電話がかかってきたことがありました。「オレ」の当人がうちにいたので、だまされることはなく、終わりました。  『所さんの目がテン!』で実験をしたら、実験をされた人たちは、詐欺電話にだまされてしまっていました。こういう実験のVTRは、編集されていて、結果がはっきりと出るようにはなっているのでしょう。それにしても、やっぱりだまされてしまうんだ、ということは分かりました。  番組の中で、ニセ息子にだまされなかったお母さんが一人いました。  番組では、このお母さんが、犯人役の説明に疑問を持ったことと、切迫した話の内容にのらなかったことが、だまされなかった理由とまとめていました。  このお母さんの話し方を聞いていて、気づきました。だまされなかたお母さんは、いつもの自分と息子の会話のペースをとりもどしたのです。つまり、ニセ息子に、言いたいことだけを言わせず、いろいろなことを尋ね始めたのです。  いくら急ぐ用件でも、相手の言いたいことだけを聞いていないで、こちらも何かを言ってみること、これがどんな場合もあるとよいと思えます。  もしも、家にまたあやしい電話が来たら、次のように言おうかな、と思います。 「オレオレ、オレ○○だけど、とっても急ぐことを起こしちゃってさ。………。」 「ああ、そうなの。わかった。お金はなんとかするよ。」 「ありがとう。助かるよ。○○へ、○○という人が行くから。」 「わかったよ。その通りにするよ。ところで、頼んでいたアレはどうなった。」 「アレってなんだよ。」 「アレったら、アレだよ。」 「今、急ぐから、後で、返事するよ。」 「急ぐのは、分かったけど、アレも急ぐんだよ。どうなったかだけでいいから、今返事してよ。」 「………」  「オレオレ」には「アレアレ」で対抗してみようかな。  だまそうとするやつらの手口は、どんどんずるがしこくなるから、そうはうまくいかないとは思うけど、言いたいことだけ、用件だけを聞くということを止めた方がよいのじゃないか、と思うことがあります。  オレオレ詐欺対策だけでなくて、相手に、言いたいことだけを言わせない、こちらもいろいろと聞いてみることをしよう、と思います。 にほんブログ村 本ブログへ
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 「読書をしたくなるような曲を教えてほしい。」なんて、無理な話でしょう。音楽を聴いて、本を読みたくなった、なんて、そんなことないです。  でも、手術後のだんだんに体力が戻ってきたときは、それに近いことがあったかもしれません。手術の後、何日か経つと、眠っていたり、うつらうつらしている時間が短くなり、ラジオを聴くようになり、テレビを見るようになり、そして、本を読んでみようかという気になりました。ラジオで聴く音楽が、読書を誘ったのか、とも思いましたが、それは考えすぎでしょう。  「読書をしたくなるような曲を教えてほしい。」というリスナーの便りに、番組の中で「ゴンザレス三上」さんが次のように答えていました。 そんな曲を選ぶのは、不可能だと思うけれど、細部が気になるようなナイーブな曲、演奏を選んでみました。 選んだ曲は、ステファノ・ボラーニ 『ドント トーク』 というような内容でした。  なるほど、きれいなピアノ演奏でした。なんとなくたよりなさげで、それでいて、細かい部分も丁寧にしあげられた曲で、演奏もそういう感じでした。  全体がおもしろく、細部も楽しめる、読書も音楽も共通するところなんでしょう。  それにしても、このリスナーの注文は、思いも付かないものでした。   にほんブログ村 本ブログへ
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 原作は読んでいない。ドラマだけの印象だ。ロケを丁寧にやっているし、畑や農作業の場面のカメラワークも気持ちよく観ることができた。展開のテンポも悪くなく、最後まで次回を楽しみにした。  なによりも、今の日本の現実を取り上げているので、私の好きなドラマだった。  見終わって、ややすると、不思議な感覚にとらわれた。例えば、「刑事ドラマ」としながら、主要人物に警察官が出てこないような感じか。  現実の「限界集落」のなによりの特徴は、若い世代がいない、住民が減る一方ということだ。さらには、都会地との日常的な交流が困難な地理的な条件にあることだ。  このドラマの鍵を握るのは、つまり「限界集落」を救うのは、若い世代だ。経営が順調になり出したこの村の「株式会社」を危機に陥れる登場人物でさえ、若い農業従事者だった。そして、登場する高齢の農家さんたちが、高齢といいながら元気に農作業をしている。さらに、この高齢の農家さんたちは、少し考える時間を得ると、新しい価値観を受けいれてそれをどんどんと行動化していく。  なるほど、ドラマだ。  若い世代がいない所に、若い世代の住民を登場させている。若い頃に比べると格段に落ちてくる農作業の能率を、それほど落ちさせない。記憶力や特に新しい事物に対する判断力がなくなってくるはずなのに、それをさせない。都会地との日常的な交流が難しい地理的な位置にあるはずなのに、都会からたくさんの人々が日常的にやってくる。  過疎の集落の現実から見ると、この『限界集落株式会社』に描かれたものは、夢物語以外のなにものでもない。  私は、大都市と言われる地域に住んでいる。  身近では、高齢の一人暮らしの方が亡くなって、その後空き家になる家が増え続けている。限界集落だけではなくて、多くの日本の地域にとって、このドラマは、ドラマそのものなのだ。  今存在するものを、なるべく穏やかで、後始末に困らないように、終わらせること。次には、全く新しいものを作り出していくことが、高齢化、人口減少への現実的な手立てだと、私には思える。

  体調が戻りつつあると、以前にできていたことの何割かをやってみたくなる。室内で、軽い体操をやってみたり、車で近所のスーパーまで買い物に行ったりした。それができると、次の日には、もう少し、体を動かすことを増やしてみたくなり、動く時間が増えていった。そういうことを1週間ほど続けると、熱がまた出た。  医師は、その程度なら普段の生活の活動量と発熱は関係がなさそうだと、言う。でも、自分でできる体調管理は、日常生活を工夫することくらしかない。だから、動いたり外出した日の次の日は、専ら休養している。  休養には、録画した日本映画を観るのが適している。  録画して観た映画でおもしろかった作品 『なくもんか』  監督 水田伸生  「阿部サダヲ」は、そんなやつはいないだろうという主人公を、いるかもしれないな、という気にさせてくれる。一方、「瑛太」は、そういう行動をとるやつはいそうだな、という人を、どこか現実離れした人物にみせてくれる。この、二人の兼ね合いがよい。  この作品では、いくつもの話の落ちが組まれていて、そのいくつかがおもしろかった。  その1。  主人公が作って評判になっているハムカツの秘伝のソースが、ごく普通のソースに取って替わられた。すると、その普通のソースの方がうまかった。それを、逆手にとって、普通のソースつきのハムカツをどんどんと売り出す展開。食べ物についての評判の本質を、ついていると思う。私は、大量生産で造られたクッキーと、吟味した材料で手作りされたクッキーの区別はつかない。  でも、全部の食べ物がそうかというとそうでもない。おにぎりは、家でにぎったものと、コンビニのおにぎりの区別はつく。    その2。  八方美人を貫き通して、疲れ果てた主人公が、エネルギーを回復する手段が謎であった。その謎は、週末だけおかまバーで、おかまになるということだった。予想できない展開だった。予想できない展開があるというのは、楽しい。  この作品で、感心したのはラストシーンだ。  映画のラストシーンは、台詞で終わったり、情景で終わったりする。『なくもんか』は、基本的には台詞で終わるのだが、俳優のアクションと舞台設定がよかった。どこにでもありそうな野外イベントの舞台上、ゆるキャラの衣装から顔を出し、お笑い芸人としての決めのポーズ、ある意味、最も現代の日本の舞台にふさわしい設定だと思った。 

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